ショートメッセージ2011
2011年12月
今の幸せを見つけるクリスマス
ある心理カウンセラーが、どうしても仕事ができない時期があったことを話された。それは、彼の2歳の子どもが、小児ガンになって入院した時期であったという。子どもが生きるか死ぬかの病気になってしまったので、冷静にカウンセリングができなくなってしまったそうだ。相談に来た母親に「子どもが勝手に学校を辞めて困っているのです」と相談されても、「学校になんて行かなくてもいいじゃないか、近くにいてくれれば・・・」と考えてしまう。 また相談に来た父親に「子どもとすぐに殴り合いのけんかになってしまうんです」と相談されても、「うらやましいな、息子が大きくなって、けんかできたらどんなに幸せだろう」と思うと、涙があふれてしまって仕事にならなかったと話され、「どうして、みんな、今の幸せに気付かないのだろう・・・」と語った。
私たちはあまりに当たり前に自分の周りにあるので、それがどんなに幸せなことか気付いていない。
クリスマスを迎える。イルミネーションが、きらきらと美しくかざられている。クリスマスの贈りものが売られている。サンタクロースが、プレゼントをいっぱい配っている。イエスの誕生日のお祝いの日だということは、わかってくれている人は多い。クリスマス・ケーキを食べる日だと思っている人は少しはいるかも知れない。 聖書のクリスマス物語は、マタイ福音書とルカ福音書に書かれている。この物語を読んでみると、喜びというより、悲しい、淋しいことがいくつか書かれている。まず、若いマリヤとヨセフは、旅の途中で、宿屋をあちこちさがしても、泊るところがなかった。ようやく泊めてもらったところは、馬小屋だった。臭い、汚い、わらの床の上だった。お祝いに訪ねてきてくれたのは、羊飼いたちだった。2000年のむかし、ユダヤの国では、差別されていた貧しい人たちであったといわれている。東の国の学者たちも、訪ねてくれた。捧げものもいただいた。当時のヘロデ王に、「ユダヤの王として生まれた方、どこにおられるか」と聞いている。ベツレヘムに生まれたことを知ったヘロデは、ベツレヘムとその周辺一帯にいた2歳以下の男の子をすべて、虐殺した。その親たちの悲しみの中で主イエスは誕生された。すべての人々の悲しみと苦しみを共に負われて、幼子イエスの誕生があった。「今の幸せに生きている」喜びと感謝をもって、2011年のクリスマスを祝いたい。
松戸教会 牧師 石井錦一
2011年11月
ふるさと教会になりたい
私は人との出会いと交わりのときに、「お国(ふるさと)はどちらですか」と聞く。牧師には「母教会はどちらですか」と聞く。もちろん国籍を聞いているのではない。福島とか、大阪という答えを期待しているのだが、県名を「くに」というのは、どういう訳かと思った。そこには、出身地がそのまま国家であるような確かな枠組み、密着度とか、親密感とかをもっているからだろうか。
ところが、最近は出身地を「お国はどこ」と聞きづらくなったような気がする。話のついでに聞くと、「生まれたのは福島ですが、父の転勤で小学校時代は長崎ですごし、高校から大阪でした」と答える。つまり今の時代を生きている人には、お国とよべる故郷(ふるさと)が少なくなってしまったらしい。ということは、故郷もなく人生を旅路に委ねている人が多くなった。原点のない旅路の人生はどういうことになるのか。
世界中に、幼・少年時代の思い出をもつ人も多くいるだろう。しかし、やむをえないことだが、幼少期、青年期、壮年期を、あちこちで生活してきた人は、精神的風土まで均質化しまっているのではないか。そこで言葉をかえて「故郷はどちらですか」と聞いてみると、「私は東京生まれですが、父の故郷は沖縄です」という答えが返ってくる。同じことだが、地方の物産を送ってくれる人が、「父のあるいは母の故郷の名物をどうぞ」といただくことがある。父母を通して、遠くかすかな故郷の香りなのだ。第二次型の故郷というべきだろうか。しかし、昔はしっかりと故郷をもっていた。一番有名な故郷は、
“ふるさとは遠きにありて思うもの”
という室生犀星の詩の一節だろう。犀星は故郷金沢で、貧しく幸少ない少年時代をすごした。「ふるさと」は、はるか遠くから、恋しく、なつかしく思い、悲しく歌うものだという。明治、大正、昭和の初期を生きた人びとは、どんなに物質的に貧しくあっても、なお故郷を恋しくしたう心があった。太平洋戦争後に、それがすっかり失われてしまった。それでも、お盆休みとか正月に故郷に帰る人びとが多いのは良いことかも知れないが、家族と共にすごすレジャーが多くなったようだ。故郷がない。
自分の育った教会、幼少期をすごした教会、母教会というべき、こころの故郷教会を大切にしたい。清里キャンプも教会キャンプの故郷づくりと思っている。子どもと共に故郷教会をたずね、共に祈り、讃美するところにしたいと願っている。
松戸教会 牧師 石井錦一
2011年10月
ちゃんと生きる
老いて自分の人生を振り返ると、人間は生きていく上で、いかに勇気と知恵の働きが必要であったかを痛感する。そして、いつも考えることは、人間の心のことだ。
人間の心ほどすばらしいものはない。と同時に、人間の心ほど厄介なものはないと思っている。喜びや楽しさや嬉しさだけではない。悲しみ、悩み、苦しみ、不安、そねみ、ねたみ、ひがみ、うらみ、怒り、恐怖など・・・、人間は自分の心に思うままにもてあそばれる。他人の心にももてあそばれて、自分の心に傷つき、他人の心に傷つく。人間の心ほど救いがたいものはない。つまり人間にとって、心、精神こそ人生の大きな問題、課題といえる。順風満帆と思えていた人生に、突如悪魔のごとく襲いかかる不幸な出来事は、決して他人事ではない。それが、私の人生なのだ。もし、そのとき、あなたならどうするのか。嘆いても悲しんでも、憐れみを他人にお願いしても、事態は決して変わらない。どんな状態であろうと生きている自分に誇りを持って、これから生きていくためには何が必要なのかをしっかりと考えることだ。自分の心さえしっかりともっていれば、あらゆる苦難に打ち勝つことができる。
しかし、苦難を乗り越え、克服できることだけが勇気ではない。負けを負けと認める勇気も大事だ。悔しいけれども、打ちのめされて負けたことを認める。そこから限りない優しさと温かい心が生まれてくる。人生は誰であろうと、決して平坦な道だけではない。そこにはあらゆることが待ちうけている。幸せな人生などめったにない。いじめにあったとき、悩んだとき、苦しんだときどう生きたらよいのか。
私は何度か危篤状態になった。いつでも死を身近に感じてきた。しかし、ずっと死は問題でないと考えてきた。ちゃんと生きていないことのほうが問題なのだ。ちゃんと生きるということは、私にとっては「神を信じて生きる道」しかない。
悲しみや喜び、愛や苦悩、情熱や心の安らぎは、どれも人生のひとこまだ。この人生のひとこまを、どうしたら「ちゃんと生きられるか」と私はいつも考え続けて毎週の礼拝の説教も、ただひとつ、信じてちゃんと生きることを、聖書を通して語ることが、私の生きている使命だと、自分の心にいつも語りかけてきた。
松戸教会 牧師 石井錦一
2011年09月
祈る力―祈りを失った私たちにできること―
「祈る力一人が生み出す〈癒し〉のエネルギー」という本を読んだ。本屋に並んでいるのを見て買った。著者の対本宗訓という人は「僧医」と小さく書いてあった。新書版の本だった。大学哲学科を卒業して、京都嵯峨天龍寺で修行僧として過ごし、ヨーロッパなど諸外国で禅指導をしていたが、もう一度大学の医学部で学ぶ。心や魂に寄り添う僧侶と、身体を科学的視点で診る医師を兼ねた「僧医」として、現在ロンドンで働いておられる人だ。
2011年3月11日の東日本大震災をロンドンで知り、インターネットで、日本のテレビ映像から、津波の規模は想定をはるかに超え、多くの町や村が跡形もなく津波に呑み込まれて壊滅し、数え切れない人々が犠牲となった惨状に言葉を失っていた。それに、原子力発電所の被害は、日に日に深刻さを増し、制御不能となったプラントから放射性物質が漏出して、日本中を恐怖の坩堝の陥れ、懸念と不安は、世界にも広がっていった。
未曾有の東日本大震災の勃発した直後から、ロンドンの日本人社会にも衝撃が走った。情報が錯綜し、事態が混乱し、日本から遠くはなれた地にあって、さらに震災の状況がよく呑み込めない、動揺と不安でどうしてよいかわからない中で、精神的に憔悴している人が在住日本人の中に多くなっていったという。
対本さんは宗教者として自分の取るべき行動について熟慮する日を続けて、犠牲となった数知れぬ御霊をなぐさめ、家を失い肉親を喪うしなって苦悩の底に沈む多くの方々の心労を一日も早く癒されるよう心から祈りを捧げるようになっていたという。宗教者は、祈りを忘れているのではないかと。宗教者は、生きてはたらく祈りの唱導者とならなければならないと。確かに祈るだけでは土くれ一つ動かせない。しかしながら、祈りを忘れた現代社会に真の祈りを回復していきたいという。仏教にも祈りと願いの意味のあることを語っている。
そのひとつに、アッシジのフランシスコの「平和の祈り」を引用されている。「平和を求める祈り」の全文を紹介できないが、「神よ、わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。…」ではじまる祈りは、自分を小さき者、神の道としてとらえ、他者への奉仕を誓い、そのために力を仰ぐ内容を、対本さんは大切なことだと教えている。キリスト教の「祈り」だけでなく、宗教者の「祈り」のエネルギーを、多くの苦しむ人々に与える大切な働きだという。私も心から共感した。
松戸教会 牧師 石井錦一
2011年08月
「存在しないもの」から「存在するもの」を信ずる
孔子が君子の学ぶべきものにあげた六つの技芸を「六芸」といいます。つまり、礼・楽・御・射・書・数をいいます。礼とは死者を祀るること、楽は音楽、御は馬を扱うこと、射は弓を射ること、書は字を書くこと、数は計算することです。
第一位に来るのは礼です。儀礼のことです。死者を祀る、あるいは鬼神を祀ることも意味しています。「死者」というのは「もう存在しない」ものです。しかし「存在するとは別の仕方」で生きている者たちに生々しく触れてくる。「生物と無生物のあいだ」にわだかまっているもの、それが死者です。死者はもう存在しません。でも、実際には、私たちは絶えず死者に呼びかけ、死者に問いかけ、かえって来るはずのない死者からの返答に耳を澄まします。死者は私のこの振る舞いをどう見るだろう。どう評価するだろう。このような判断を是とするだろうか非とするだろうか。そういうことを私たちはいつも考慮しながら日々の選択を下しています。死者はそこに存在しないにもかかわらず、むしろ存在しないがゆえに、生きているものたちの判断や行動の規範となっています。「存在するとは別の仕方で」生きている私たちに影響を与え続けるもの、それが死者です。死者に問いかけ、死者からのメッセージを聞き取ること、それが正しい意味だと理解しています。学問の最先端にいる人が常にしていることです。従来の仮説では説明できない現象を説明します。手持ちの計測機器では計量されないものは「存在しない」と断言する人たちは、ほんとうの意味での科学者ではありません。
「何かがあるような気がする」という直感を手掛かりにかすかな「ざわめき」を聴き取ろうとする人たちこそ、自然科学の先端で「いまだ存在しないもの」を感じとろうとしている科学者です。「存在しないもの」とのかかわりなしに、人間であることはできないのです。
他の五つの語も書きたいが、紙数がありません。「存在しないもの」からの声を聞きとることが、私は「信仰」だと思っています。たくさんの「死者」を送りました。その「存在」しない死者がいつも語りかけてきています。「神」は「存在しない」という人はいます。しかし「存在しない神のことば」を聴くことを訓練することが「信じること」なのです。「存在しなくなった」愛する者、信頼と友情を深くもった人々の声を聴く季節は、八月がもっともふさわしい。「六芸」には、現代に生きる指針が示されています。「神学」に通ずるものがあります。
松戸教会 牧師 石井錦一
2011年07月
きびしさと包む愛を憶いつつ
最近、椎名麟三のことが、折にふれて思い出される。「椎名麟三全集」全24巻だと思うが、私の書斎からはみ出して置かれている。彼は現在の姫路市の貧しい家に生まれた。生後三日目に母は鉄道自殺を試みたという悲惨な状態のなかで成長し、姫路中学を14歳で中退して家出した。果物屋に勤めたり、コック見習いになったりして苦労したが、18歳のとき、宇治川電鉄(現在の山陽電鉄)に車掌として就職することができた。ところが、共産党細胞を組織して、積極的に労働運動に関わったので逮捕され、4年の判決を受けた。未決囚の独房で、自分は今後いかに生きるべきかを必死でさぐっていた彼に、差し入れられたニーチェの「この人を見よ」を読んだことが契機となって、1933年(昭和8年)に転向の上申書を書いて、執行猶予で出所した。
後にドストエフスキーの「悪霊」を読んで深い衝撃をうけ、敗戦後キリスト教に近づき、復活のキリストに出合い、1950年に洗礼を受けた。後になって「イエスと焼魚」という小文を書いた。
「私は、ドストエフスキーを信頼して、洗礼を受けた。だが、神やイエス・キリストが信じられていたわけではない。受洗して1年もたって、ある日、ルカ伝の復活のくだりを読んでいたとき、突然ショックとともに、必然性の壁が音を立てて崩れ落ちて行くのを見たのである。
つまりほんとうの自由を見たのだ。といって、そこには大したことが書いてあったわけではない」と書いて、ルカによる福音書24章の36節から43節を引用する。そこには、「焼いた魚の一切れを差しあげると、イエスはそれを取って、みんなの前で食べられた」とある。復活のイエスを信じない者たちに、くだらなくも焼魚の一切れをムシャムシャ食べて見せただけである。焼魚を食べて見せたイエスの愛に、椎名麟三は胸をつかれて彼の生き方が変ったといっている。
この話は、椎名さんから直接聞いたことがある。1973年62歳で亡くなっている。1960年のはじめ頃、牧師たち10人位で、箱根の宿で3日間ほど「文章を書くこと」の講義と、そこで文章を参加者が書いたものを手きびしく批評された交わりをもった。今いつも文章を書き説教する私にとって、椎名さんの復活信仰と、あのときの椎名さんのきびしさと愛をなつかしく思い出している。人間のきびしさとそれを包む「愛」の大切さを教えてくれた人だ。
松戸教会 牧師 石井錦一
2011年06月
信徒として原点を教えられる
私は、洗礼を受けてキリスト者になったとき、当時は「日曜学校」と呼んでいた、日曜日のおとなの礼拝の前に集まる子どもたちの「先生」になった。はじめて、子どもたちの礼拝で「説教」をしなさいと言われたとき、一週間、準備して、土曜日の夜は教会の裏の林の中で、15分程のお話を暗記して何度か繰り返して声を出し、身振り手振りも加えて、日曜日の朝の準備をした。私の育った教会の裏の林はなくなって、住宅がいっぱいに建てられている。今でも、母教会をときに訪ねると、幻になった、林の中を想いうかべる。
やがて神学校に学び、牧師になったときの「説教」の原点が、この教会の裏の林の中にあると思っている。聖書を読み、その解説を学んでお話をするだけでなく、子どもの前で原稿を見ることはできないので、何度も声に出して暗記をした。 今も、牧師として、毎週礼拝で説教するとき、原稿を見ないで暗記をして語れるような説教をしなければいけないと思っている。
後に、教会に付属している幼稚園や、今は保育園の子どもたちに、1カ月に何回か話している。乳幼児にお話するときは、原稿はない。お話の主題にそって語る準備はする。 もっと、時間、準備もしっかりしないといけないと自省している。
牧師になって、影響を受けた心理学者にカール・G・ユングがいる。スイスの牧師の家に生まれ、バーゼル大学で心理学、心霊思想に深い興味をもった。フロイトの「夢判断」を読んで、フロイトと会い、13時間彼と話し続けたという。2年後にフロイトの心理学を批判して別れた。やがてバーゼル大学の教授になり、ユング研究所を設立して、現代の心理学に大きく影響を与えた人である。彼の家の玄関にエラスムスのラテン語の言葉が掲げられているという。その言葉は「呼ばれようと呼ばれまいと、神はここにおられる」だった。ユング心理学とは別に、この言葉に教えられた。私が洗礼を受けて、信徒として、今「子どもの教会」と呼んでいるところで、はじめての説教から今日に至るまで、ユングの「呼ばれようと呼ばれまいと、神はここにおられる」と信仰によってキリストの言葉を語ってきたのだということがわかった。 私の信仰の出発点をユングがあらためて教えてくれた。
松戸教会 牧師 石井錦一
2011年05月
なせ災害の苦しみがあるのか
カトリック教会の教皇ベネディクト16世がインターネットサイトで公募された約2,000のキリスト教に関する質問の中から選んで、テレビを通して、人々の質問に答えた。このようなことは初めてだと言われている。4月22日、キリストの受難を記念する聖金曜日に放映された。質問は全部で7つあった。最初の質問は、千葉市美浜区在住の松本エレナ(7歳)さん、子どもであった。エレナさんの父親はイタリア人で、母親は日本人だという。エレナさんは3月11日の東日本大震災のときに、10階の自宅マンションに、母親と一緒にいて強い揺れを何度も経験した。同年代の子どもがたくさん亡くなったことを知り、どうして神さまがこのような悲しみを与えたのか教えてほしいと思って、エレナは教皇に質問をした。エレナの質問と教皇の回答の要旨を読んだ。
質問「わたしの名前はエレナです。日本人で7歳です。今、わたしはとっても怖いです。大丈夫だと思っていたわたしのお家がとても揺れたり、わたしと同じ年くらいの子どもがたくさん死んだり、外の公園に遊びにいけないからです。なんで子どもがこんな悲しいことにならなくてはいけないのですか。神さまとお話ができるポープ(教皇さま)教えてください。」
教皇の答え「わたしも同じように自問しています。どうしてなのか?他の人たちが快適に暮らしている一方で、なぜ皆さんがこんなにたくさん苦しまなくてはならないのか?わたしたちはこれに対する答えを持ちません。でも、イエスが皆さんのように無実でありながら苦しんだこと、イエスにおいて示された、本当の神さまが、皆さんの側におられることを、わたしたちは知っています。たとえわたしたちが答えを持ち合せていなくても、たとえ悲しみが残っても、このことはわたしにはとても大事なことに思われます。神さまが皆さんのそばにおられるということ、これが皆さんの助けになることは間違いありません。今、大切なことは『神さまはわたしを愛しておられる』と知ることです。 それは、たとえ神さまが自分を知っているように見えなくてもです。いいえ、神さまはわたしを愛してくださり、わたしのそばにおられるのです。世界中の人が皆さんのことを思い、皆さんを助けるために何かできる限りのことをしようとしています。いつかこの苦しみが無駄ではなく、その後に良い計画、愛の計画があることを理解できる日が来るでしょう。―――」
教皇の答えは、わたしたちの神への問いに対するひとつの答えだと思い、引用した。
松戸教会 牧師 石井錦一
2011年04月
心をみせる勇気が信仰
大きな災害をテレビで見ながら、心を痛んでいる人は多い。そして、繰り返し見せられる映像は、「こころ」は見えないが「こころづかい」は見える。「思い」は見えないが、「おもいやり」は見えると何度もみせられた。日本語の語源を調べてみると、「うら」には「こころ」の意味がある。それは「うらはずかしい」とか「うらさみしい」とか、「こころ(うら)」が恥ずかしかったり、寂しかったりするときに使う。私たちは「こころ」というものが「うら」にあり、「おもて」には簡単に表わしがたいと考えている。「我を隠す=ワ+カクシ」という語源から、「わたくし」という言葉ができたという説もある。容易には見えない自分の「うら」に、心の本音があることを示している。そうしたら「うら」の事情の中で一番厄介なのは「うら(こころ)」の病気で、「うら」が病気だという意味から「うらやみ」という言葉ができたという。「こころ」の不幸の中には、この「うらやみ」が含まれる。「うらやみ」が、人を狂わせたり、悪意や病気に追い込んでしまうことが多いといわれる。「うらやみ」には欲しいものを手に入れられないときの、激しい怒りの感情も含まれる。そうした感情の処理の仕方の代表が、「あんなものはいらない」と悪口や陰口を言うことだ。逆に「うらやましいことでございます」と言って、自己卑下することもあるが、手に入れられないものや自分の価値をどんどん値下げしてしまうと、何も欲しいものがなくなる。すべてがむなしく、楽しく過ごせなくなる。
信じる決心をして「洗礼」を受けようとしない人の中には、「日曜日に礼拝に出席し、奉仕をして、交わりをもつことは良いことだ」と思っていても、そういう生活をすぐにできる人に対して「うらやましいことでございます」といって、自分は関係ないと思う人がいる。礼拝に出席することはつづけているが、どこかほんとうの喜びがない。「うらやましい」という言葉の最善の使い方は、建設的になって、欲しいものを自分の手に入れる努力をすることだ。そうでないと「うらやましい」といって悪口や批判をするだけになってしまう。
主イエスは、私たちの「こころ」をいつもみていてくださる。「こころ」の「うら」をみていてくださって、「あなたのほんとうのわたしをみせてください」と主は求めている。あなたの心の本音をみせて、行動する勇気が信じる生活となる。
松戸教会 牧師 石井錦一
2011年03月
ワガママ信仰からの出発
ある精神科医の「ワガママを許されたか」というエッセイを読んだ。エッセイの一部を紹介する。
ワガママという日本語はなぜかいけないことを表わす。なんとか思い通りにしてやろうと画策したり、執念深く考えたり、ひとのことを誹謗中傷したりする心の背後にワガママが存在するからだ。ところが子どもは本当にワガママだ。自分の思い通りにならないと必ず怒って騒ぎだす。ワガママな子ども時代は、みんな、「裸の王様」だとか「お山の大将」であって、世界中の子どもたちが経験する。しかし一旦ワガママをたくさん経験すると、やがて現実にぶつかる。そしてぶつかり合いながら、最終的には、折り合いをつけていくことを覚えて、やがて外界と折り合いをつけることで成長していく。だから非常に早いうちにワガママをつぶされると、一生、自分は思い通りにならないという気持ちになってしまう。ワガママとは、希望とか願望とか夢の源なのだ。私たちはおいしいものを手に入れる方法を知らない状態で生まれてくるが、子どもは一旦おいしいものがあると分かり、味を占めるとワガママになる。だからワガママとは欲しいものを探したり、夢見たり、希望を持ったりすることの原点なのだ。だから、幸せになろうとするのは、悪い意味のワガママだとは限らない。特に幼いときの万能感は大事だといわれる。ワガママと思われる、希望、夢、ときに単なる欲望と思われることが、まず満たされて、やがてすべてが、自分の思い通りにはならないことをわきまえていくことによって、人間としての心の成長が生まれてくる、という。
信仰を求めることには、ワガママであってよいと思う。貪欲になっていい。自分の欲するものに執着して、非常に欲深く、ワガママに求めていくことだ。このワガママが信仰の原点にあることが必要だ。信仰を求めて教会に来る人が、ワガママを忘れている。何が何でも、自分のものにしたい。私のために、何でも知りたい、求めたいというワガママがなくなっている。信仰の赤ちゃんになって、ワガママいっぱい、泣きわめいて、信仰の霊の乳を求めることによって、信仰の大人になってほしい。やっかいなのは、ワガママ信仰を通らないで、大人になり、年よりになると、裸の王様信仰、お山の大将信仰になって、誰にも相手にされない、ひとりよがりの信仰、大人のワガママ・キリスト者になってしまう。これが教会をダメにする。
松戸教会 牧師 石井錦一
2011年02月
即身仏に出会った思い出
新聞のコラムで紹介されて、かつて訪ねたことを思い出した。「即身仏」、この肉身のままで成仏した人。特に江戸時代、衆生救済のために自ら断食死してミイラ化した行者のことと言われている。
今の山形県庄内地方で、江戸時代後半に「即身仏」信仰が広まった。真言密教の修行僧が断食などによって、自らミイラ化した「仏」を人々が拝むのだ。コラムの紹介によると、なぜこの地でか、理由は諸説ある。近くの霊場の湯殿山に湧く温泉に水銀が含まれており、飲み続けた人の遺体が腐りにくかったからとも、高野山奥の院の岩屋で「生きている」とされる宗祖・空海に続きたい一念が高じたとも。
庄内の中心、酒田市の街並みを見下ろす海向寺には、2体の即身仏がある。1755年入定の忠海上人と1822年入定の円明海上人だ。私が訪ねたときには、説明する人はいなかったが、その姿を見て、訪ねる人々がさまざまな反応を示す。男性は「自分にはできない」という。女性は「怖いかと思ったけれど、悟りを開いた人という感じがする」とおだやかな表情になる。団塊の世代はよく泣く。それも号泣する。「生きるとは年をとることだと気づきました」とは小学5年生が寄せた感想文だ。「ワシは80になるまで何も信じずに生きてきた」というお年寄りは、「自分がいつ、どこで、どんな風に死ぬのか、ずっと考えている」とポツリ。「こういう死に方もあるんですね」との声に老若男女がうなずく。
私が「即身仏」をみたのは、40代後半のときだったと思う。最初に感じたのは自分も、ミイラになっても、ひたすら、主イエス・キリストを信じ続けられるか、という自らへの問いであった。その時に、即身仏になるためには、自らの身体が座って手を合せて入る穴を掘る。その穴に入って、断食中に死を向かえる。肉体が朽ちはて、あと骨だけのミイラとなるのだと聞いた。キリスト信仰も、ひたすら手を合わせて、祈り続けて声のでるかぎり、神の御言葉を語り続ける。そして、言葉も身体も動かなくなったら、神に向かって祈りのまま肉体が朽ちていくのは、私の全身全霊を主なる神に委ねていくことが、私にもできるかと、「即身仏」から問われている思いでみた。
あの時以来、教会の混乱も批判もたくさんあった。わたし自身、死の直前までの病気を何度かした。「即身仏」の紹介を読んで、何があっても、ひたすらキリストに向かって生きていこうと決意を与えてくれた「即身仏」に出合った時の私の決意を思い出した。
松戸教会 牧師 石井錦一
2011年01月
「ニーチェの言葉」から自分の信仰をふりかえる
若い時、ニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」や「人間的な、あまりに人間的な」などの本を読んでよくわからなかった。彼は19世紀の後半に生き、20世紀の曙を前に没した(1844~1900)。24歳でスイスのバーゼル大学教授になったが、教職にあったのはわずか10年程で、その後は病気療養のため、ヨーロッパ各地を旅しながら、独特の著述と思索を続けた。
19世紀までの西欧での絶対価値と真理はキリスト教道徳だった。しかし彼は、その道徳は本物ではない、生きている人間のためではないと考えた。ニーチェに対する批判は厳しい。ナチスの思想の土台となった。ニヒリズムの哲学を語り、反ユダヤ主義者だということであるというので、20世紀の悪の哲学者ともいわれていた。はじめて、ニーチェに心をひかれたのは、すでに、私はキリスト者であり、やがて、牧師になるための神学生であって、キリスト教の只中にいて、教会・キリスト教は「これでいいのか」という疑問と、キリスト教の絶対的価値と真理は、ここにしかないという言葉に、不安と不信を感じていた。ニヒリズム、日本語で虚無主義と訳されている言葉に、ひそかな共感をしていた。自分はキリスト教信仰に生きていると思いながら、現実の教会と、そこに生きている人たちに、批判を感じていた。洗礼を受け、神学生になっていた私が、現実の教会の中で神を信じている声に、どこかウソがあると不安と不信があった。教会の中で、自分たちだけの天国を信じて喜んでいるように感じていた。私はこの世における真理、つまり、今生きている人間のための哲学・神学が必要だと思っていた。
ニーチェは牧師の子として生まれて、「神は死んだ」と語らずにおれない思いに私も共感した。よくわからないが、今を生きることの真理を求めていくのが、まこと信仰ではないか。その迷いの中で信仰の挫折をした。挫折を乗り越えるには、信じている自分を一度全部捨てるところから出発しようと決心した。「ニーチェの言葉」という“超訳”された本で、かって漠然としていたニーチェ理解を、新しく教えてくれた。
「自分を常に切り開いていく姿勢を持つことが、この人生を最高に旅することになるのだ」
「今のこの人生を、もう一度そっくりそのまま繰り返してもかまわないという生き方をしてみよ」
私にとっては、宗教は必要ない、いらないと語ることは、そこから、本物の信仰、宗教が必要となってくることだと信じている。
松戸教会 牧師 石井錦一