使徒言行録 鍵語辞典
(8)眠り
コイメーシス / Sleep(ギリシャ語 /英語)
「眠り」は、使徒言行録において、キリスト者の死を表現します。その最も印象的な用例は、殉教者の最期の場面にあります。「こう言って、ステファノは眠りに就いた」(使徒言行録 7章60節)。ここで使われているギリシャ語は「コイマオマイ」(眠りにつく)という動詞であり、その名詞形が「コイメーシス」(眠り)です。
使徒言行録の著者ルカは、石で打たれ、命を落とすという暴力的な仕方で命を落としたステファノの最期を「死んだ」とは記さず、あえて「眠りについた」と表現します。これは、彼の死が、すべてが終わる絶望的な「終わり」ではなく、主イエスに抱かれる「平安」の始まりであったことを示すためのことでしょう。彼は死の直前、「ああ、天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言って、「神の右に座す」キリストが(使徒信条)、立ち上がり自分をえてくださることを確信しました。
この表現は、新約に一貫して見られる、キリスト教独自の死生観を反映しています。使徒パウロも、キリストにあって亡くなった人を「眠りに就いた人たち」(テサロニケ一4章13節)と呼びました。これは、キリスト者にとって死が恐れの対象ではなく、主にある平安な状態であることを物語ります。
日本にも、死を「眠り」と表現する慣習があります。ただ、聖書が死を「眠り」というとき、それは、死の現実から目をそらすための婉曲表現ではなく、それは極めて積極的な「復活への希望」の表現となります。
「眠り」が「目覚め」を前提としているように、キリストにある者の死は、「復活」を前提としています。キリストが死に打ち勝ち、復活の初穂(最初の実り)となられたゆえに、キリストにあって「眠りに就いた」者たちもまた、主と同じ栄光の姿でよみがえらされる。この確信のゆえに、ひとつ、教会が用いる「永眠」という言い回しは、「永遠の(終わりのない)眠り」のことではなく、「永い眠り」ということなのでしょう。
村上恵理也
(7)回心
エピストロフェー / Conversion
(ギリシャ語 /英語)
「回心」は、ギリシャ語の「エピストロフェー」(ἐπιστροφή)に由来し、「向きを変えること」「立ち帰ること」を意味します。これは、日本語の同音異義語である「改心」(行いを改めること)や「悔心」(過去を悔いること)とは異なります。聖書における回心とは、これまで背を向けていた神に対して、人生の方向を180度転換して神に向き直るという、全人格的な変化を指します。
この回心の最も象徴的な事例は、サウロ(ヘブライ語読みサウル、後のパウロ)の物語にあります。彼は熱心なユダヤ教徒であり、キリスト者を迫害することが神への正しい奉仕だと信じて疑いませんでした。しかし、ダマスコへ向かう途中、天からの強い光に打たれ、復活したイエス・キリストの声を聞きます。「サウル、サウル、なぜわたしを迫害するのか」(使徒言行録 9章4節)。この出来事を契機に、彼は全く新しい生き方を始めます。
キリスト教会の破壊者から、キリストの福音を伝える使徒へと変えられた、この変化は、単なる「改心」や「悔心」ではなく、自らの正義が神の御心に反していたことを知り、神の示す方向へと身をひるがえして立ち帰る、まさに「回心」でした。
一方、「回心」と関連する言葉に「悔い改め(メタノイア)」があります。「メタノイア」は「考えを変える」「心の向きを変える」という内面的な変化を指します。この二つは車の両輪です。たとえば、ペトロは説教で「だから、自分の罪が拭い去られるように、悔い改めて(メタノイア)、神に立ち返りなさい(エピストロフェー)」(使徒言行録 3章19節)と勧めました。悔い改めという心の動きは、立ち帰り(回心)という人格的転換と表裏をなします。
パウロのように、この人格的な転換は神の側からの力強い介入によってもたらされます。それは、自分の力で善人になろうとする努力によるのではなく、主イエスと出会い、その招きを聴き、それに応えることから始まります。礼拝には「サウル、サウル」と、私の名を呼ぶ主の声が響きます。
村上恵理也
(6)ステファノ
ステファノス / Stephen (ギリシャ語 /英語)
「ステファノ」は、ギリシャ語の「ステファノス」(Στέφανος)に由来し、「冠」という意味を持ちます。彼は、初代教会において選ばれた「七人の奉仕者(執事)」の一人であり、キリストの名のために命を落とした最初の「殉教者」として知られます。
ステファノについては、使徒言行録の6章と7章に詳しく記されます。
初代教会が成長する過程で、ギリシャ語を話すユダヤ人キリスト者の寡婦たちへの食料の分配が疎かになるという事態が生じました。この問題を解決するために、使徒たちは「信仰と聖霊に満ちた」七人の人物を選び、この奉仕を委ねました。ステファノはその筆頭にあげられる人物です。また、彼は人々への奉仕活動に留まらず、「恵みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行」いました(使徒言行録6章8節)。
一方、ステファノの奉仕は、ユダヤ人の指導者たちの反感を買うことになります。最高法院に引き出された彼は、告発に対して長大な弁明説教を行いました。この説教(同7章)は、アブラハムからモーセ、そしてソロモンに至るイスラエルの歴史を壮大に語り起こし、イスラエルの民が常に神の導きに背き、預言者たちを迫害してきたことを指摘するものでした。彼は旧約聖書を深く解き明かし、イエス・キリストこそが、イスラエルが待ち望みつつも、拒絶した救い主であることを力強く証言しました。
この説教は人々の激しい怒りを買いました。石で打ち殺されようとするとき、ステファノは天を見つめ、「ああ、天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」(同7章56節)と叫ぶと、その口には「主イエスよ、私の霊をお受けください」、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と、十字架上の主イエスの言葉に続く祈りがのぼりました。この出来事が、直後、迫害によりエルサレムを追われる人々を振るい起こします。また、この光景が、やがて回心するサウロの胸に刻まれます。
村上恵理也
(5)奉仕
ほうし /ディアコニア / service, ministry (読み/ギリシャ語 /英語)
奉仕は、ギリシャ語の「ディアコニア(διακονία)」に由来し、「仕えること」「世話をすること」を意味します。接頭辞「間を通して(ディア)」は、この働きが、他者との関係性のなかで自らを差し出すという特性を有することを示唆します。
使徒言行録6章では、日々の分配のことで不公平を訴える声に応え、それを正すために使徒により奉仕者が立てられます。この時、ステファノをはじめとする七人の「霊と知恵に満ちた評判の良い人」が選ばれました。これにより、奉仕者は分配を担い、使徒は神の言葉の奉仕に専念します。ただこれは、御言葉の奉仕(ministry)と食卓の奉仕(service)の優劣をではなく、両者がともに聖なる務めであり、表裏の関係にあることを物語ります。使徒言行録にはステファノの説教やフィリポの宣教が記録されます。また、ディアコニアの英訳としてserviceとministryが並ぶのも印象的です。
「ディアコニア」は、初代教会の活動全体を形成する重要な務めであり、「使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった」(使徒2章42–47節)教会特有の交わりを保つために必要不可欠なものでした。
旧約にさかのぼれば、神殿で仕えるレビ人の奉仕や、幕屋の運搬における民の働きなどが、共同体として神に仕える行為=奉仕の原型として認められます(民数記3章など)。聖書は一貫して、神に仕えることと人に仕えることは切り離すことはできないこと、また、奉仕は神と隣人への愛の実践であると語ります。
教会における奉仕は、宣教に副次的に付随する活動ではありません。宣教も奉仕もともに神の恵みを証しする聖なる務めです。
語る者も、祈り支える者も、人の世話をする者も、皆がそれぞれの場所で「ディアコニア」に生きています。奉仕とは、ただ手を動かすことではなく、神と人、人と人の間で心を差し出して歩む信仰の営みそのものなのでしょう。
村上恵理也
(4)教会
きょうかい / エクレシア / Church (読み/ギリシャ語 /英語)
「教会」は、ギリシャ語の「エクレシア(ἐκκλησία)」に由来する言葉で、本来は「呼び出された者たちの集まり」を意味します。この語は、政治的な会合や市民の集いを指す際に用いられました。新約ではこれをおもにキリストにある共同体、すなわち「信じる者たちの集まり」を意味する語として用います。エクレシアという語には、日本語の「教会」が想起させる「教える会(教えの会)」というような意味合いは含まれません。
使徒言行録において、「教会」は建物や制度ではなく、イエスをキリストと信じる人々の生きた群れとして描かれます。彼らはパンを裂き、祈り、御言葉に聴き従い、すべてを共有しながら「ひとつ心で」日々を過ごしました(使徒2章42–47節)。この原始のキリスト教会の姿は、「共にあること」と「神の言葉に生きること」が教会の本質であることを示しています。
加えて、エクレシアという語には、「外へ呼び出される(招集される)」という動的な意味合いが内包されます。それは元来、戦場への動員を意味しましたが、教会はそれを霊的な戦いへの招集として解釈しました(エフェソ6章の「神の武具」のイメージなど)。教会はただ安心して留まるための場所ではなく、神の招きに応えて世へと送り出される共同体であることを忘れてはなりません。
申命記に見る、荒れ野で神の前に集められるイスラエルの民の「集まり(カーハール)」は、旧約における教会の原型ということができます。この「会衆(カーハール)」が、神の声に耳を傾け、契約に生きる民の集いとして新約のエクレシアへと継承されていきます。そう考えると、教会は英語でchurchのほか、assembly や congregationと表現するのもふさわしいことがわかります。
教会とは、集められ、遣わされる者たちの集いです。わたしたちは教会という建物に「行く」のではなく、教会という交わりのなかで神の声に応えて「生きる」ように招かれています。
村上恵理也
(3)ペンテコステ
ペンテコステ / Pentecost
(ギリシャ語 /英語)
「ペンテコステ」は、ギリシャ語の「ペンテコステ」(Πεντηκοστή)に由来し、「五十日目」という意味を持ちます。もともとはユダヤ教の「五旬節(五旬祭)」を指し、過ぎ越しの祭から七週後、つまり五十日目に行われた小麦の収穫祭を表していました。やがて、主イエスの十字架と復活を経たこの日に、使徒たちが聖霊降臨の出来事を経験しました。このため、キリスト教会ではペンテコステの意味が更新され、日本語では「聖霊降臨日」と訳されるようになりました。これは、ペンテコステの内容を付した意訳といえます。
この日、弟子たちが一堂に会していると、突然、激しい風のような音が天から響き渡り、彼らの上に分かれた炎のような舌が現れました。そして、弟子たちは聖霊に満たされ、さまざまな国の言葉で語り始めました(使徒言行録2章)。ペンテコステには「舌」、すなわち言葉との親和性があります。
五旬祭は、もともと収穫祭として祝われましたが、主イエスの時代には「律法授与記念日」へと発展していました。この日はモーセがシナイ山で律法を授かったことを祝う日でもありました。その背景には、律法の授与がエジプト脱出後「五十日目」に起こった出来事であるという伝統的な理解があります(出エジプト記19章1節「イスラエルの人々は、エジプトの国を出て三月目のその日に、シナイの荒れ野に到着した」の「その日」の数え方については諸説あります)。
シナイ山では、モーセが律法を授かる際、激しい風、大音響、雷、そして火が現れました(出エジプト記20章18節)。この描写は、新約のペンテコステの出来事と類似しています。すなわち、教会は律法(神の言葉)を獲得し喜ぶ日を、新たな宣教の言葉を受け取り語り出す日として受け継ぎました。
松戸教会では、来るペンテコステに、礼拝で用いる聖書を『聖書協会共同訳』に切り替えます。これは、神の言葉を新しく受け取り、語り出す群れとされるための歩みです。
村上恵理也
(2)昇天
しょうてん / アナレープシス / Ascension(読み/ギリシャ語 /英語)
「昇天」は、ギリシャ語の「アナレープシス」(ἀνάληψις)に由来し、「上げられること」を意味します。
復活から40日後、主イエスは弟子たちの目の前で天に上げられました(使徒言行録1章6節以下)。この出来事は、主イエスの地上での働きの完了と、天にある栄光の座への帰還を告げるものです。
使徒たちは主イエスの昇天を見届けた後、み使いから「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる」との声を聴きました。これは一方で、キリストの再臨の希望をもたらす言葉であり、もう一方で、「なぜ天を見上げて立っているのか(立ち尽くすのではなく進め)」と、再臨までの間、使徒たちに託された宣教の使命への目覚めを促すものです。
また、使徒たちに宣教の使命を果たさせる力の源泉も昇天にあります。昇天は、主イエスが「全能の父なる神の右に座す」という告白の基盤となります(使徒信条)。これは、今なお主イエスが天にあって神の権威をもち、この地上を執り成されているとの確信をうたいます。これを告白する者は、昇天を単なる歴史的な出来事ではなく、今なお続くキリストの支配への信頼と希望の根拠とします。
信仰者はこの根拠をいただいて、いのち許される限り、この地上にとどまり、この地上で神のみわざの一端を担います。「愛のわざに励みつつ、主の再び来りたまふを待ち望む」(日本基督教団信仰告白)との告白も、昇天とのかかわりで捉えらえるべきもの(捉え直されるべきもの)です。
プロテスタント教会においては、昇天への意識が希薄との指摘もありますが、キリストの昇天は、その降誕、十字架、復活と並んで記念されるべき神の出来事です。
2025年の「昇天日」は復活日から40日後、5月29日(木)です。
村上恵理也
(1) 使徒
しと/アポストロス / Apostle(読み/ギリシャ語 /英語)
使徒は、ギリシャ語の「アポストロス」(ἀπόστολος)に由来し、「派遣された者」という意味をもちます。
狭義にはイエス・キリストが直接選んだ12人の弟子を指します(マタイ福音書10:2-4)。彼らは主イエスの言葉を最も近くで聴き、その教えを受け取り、十字架を前にしては恐れ逃げ惑ったにもかかわらず、再び復活のキリストに見出され、復活の証人として召し遣わされました。
十二弟子のひとりイスカリオテのユダが世を去ったとき、残された11人はマティアを選出し、再び12人の集団を形成しました(使徒言行録1:12-26)。これは「十二」という数字が、イスラエルの十二部族になぞらえられる、象徴的かつ神学的な意味合いをもつことを意味します。十二使徒は、神とイスラエルの契約の継承者、新しいイスラエルとしての教会を象徴する存在です。
一方、広義にはいわゆる十二使徒に限定されない概念として、キリストから召命を受けて福音宣教に従事した人物全般を指します。この定義には、十二使徒以外の人物、特にパウロが含まれます。パウロは使徒言行録や彼の書簡において自らを「使徒」と呼び、復活のキリストとの直接の出会いを基にその資格を主張しています(使徒言行録9章)。
広義の使徒の存在は、先のマティア同様、十字架以前のキリストが地上で選んだ者に限らず、復活のキリストとの出会いによって使命を受ける者がいることを物語ります。
また、十二使徒がおもにユダヤ人への宣教を担ったのに対し、パウロは異邦人への伝道を展開し、キリストの福音が特定の民族や地域を超えて普遍的であることを宣べ伝えました。
十字架の日、十二使徒は主イエスから離れ去りました。パウロ(当時は「サウロ」)は、ユダヤ教の熱心な信奉者として、キリストに従う者を迫害する側にいました。そのような者たちが主の復活の証人として用いられる、使徒は神の憐れみを体現します。
村上恵理也

