使徒言行録 鍵語辞典

(2)昇天

しょうてん / アナレープシス / Ascension(読み/ギリシャ語 /英語)

 「昇天」は、ギリシャ語の「アナレープシス」(ἀνάληψις)に由来し、「上げられること」を意味します。
 復活から40日後、主イエスは弟子たちの目の前で天に上げられました(使徒言行録1章6節以下)。この出来事は、主イエスの地上での働きの完了と、天にある栄光の座への帰還を告げるものです。
 使徒たちは主イエスの昇天を見届けた後、み使いから「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる」との声を聴きました。これは一方で、キリストの再臨の希望をもたらす言葉であり、もう一方で、「なぜ天を見上げて立っているのか(立ち尽くすのではなく進め)」と、再臨までの間、使徒たちに託された宣教の使命への目覚めを促すものです。
 また、使徒たちに宣教の使命を果たさせる力の源泉も昇天にあります。昇天は、主イエスが「全能の父なる神の右に座す」という告白の基盤となります(使徒信条)。これは、今なお主イエスが天にあって神の権威をもち、この地上を執り成されているとの確信をうたいます。これを告白する者は、昇天を単なる歴史的な出来事ではなく、今なお続くキリストの支配への信頼と希望の根拠とします。
 信仰者はこの根拠をいただいて、いのち許される限り、この地上にとどまり、この地上で神のみわざの一端を担います。「愛のわざに励みつつ、主の再び来りたまふを待ち望む」(日本基督教団信仰告白)との告白も、昇天とのかかわりで捉えらえるべきもの(捉え直されるべきもの)です。
 プロテスタント教会においては、昇天への意識が希薄との指摘もありますが、キリストの昇天は、その降誕、十字架、復活と並んで記念されるべき神の出来事です。
 2025年の「昇天日」は復活日から40日後、5月29日(木)です。

村上恵理也


(1) 使徒

しと/アポストロス / Apostle(読み/ギリシャ語 /英語)

 使徒は、ギリシャ語の「アポストロス」(ἀπόστολος)に由来し、「派遣された者」という意味をもちます。
 狭義にはイエス・キリストが直接選んだ12人の弟子を指します(マタイ福音書10:2-4)。彼らは主イエスの言葉を最も近くで聴き、その教えを受け取り、十字架を前にしては恐れ逃げ惑ったにもかかわらず、再び復活のキリストに見出され、復活の証人として召し遣わされました。
 十二弟子のひとりイスカリオテのユダが世を去ったとき、残された11人はマティアを選出し、再び12人の集団を形成しました(使徒言行録1:12-26)。これは「十二」という数字が、イスラエルの十二部族になぞらえられる、象徴的かつ神学的な意味合いをもつことを意味します。十二使徒は、神とイスラエルの契約の継承者、新しいイスラエルとしての教会を象徴する存在です。
 一方、広義にはいわゆる十二使徒に限定されない概念として、キリストから召命を受けて福音宣教に従事した人物全般を指します。この定義には、十二使徒以外の人物、特にパウロが含まれます。パウロは使徒言行録や彼の書簡において自らを「使徒」と呼び、復活のキリストとの直接の出会いを基にその資格を主張しています(使徒言行録9章)。
 広義の使徒の存在は、先のマティア同様、十字架以前のキリストが地上で選んだ者に限らず、復活のキリストとの出会いによって使命を受ける者がいることを物語ります。
 また、十二使徒がおもにユダヤ人への宣教を担ったのに対し、パウロは異邦人への伝道を展開し、キリストの福音が特定の民族や地域を超えて普遍的であることを宣べ伝えました。
十字架の日、十二使徒は主イエスから離れ去りました。パウロ(当時は「サウロ」)は、ユダヤ教の熱心な信奉者として、キリストに従う者を迫害する側にいました。そのような者たちが主の復活の証人として用いられる、使徒は神の憐れみを体現します。

村上恵理也