松戸教会の120年
松戸教会の120年 (2)
先述、松戸教会の前史は普連土会(フレンド派)伝道師・吉田米吉による借家伝道にまで遡ることができます(1898年~)。一方、吉田はまもなく普連土会を離脱すると、日本基督同胞(どうぼう)教会の伝道師となります。
同教会の源流はアメリカのキリスト同胞教会(The United Brethren in Christ)にあります(以下、Church of the United Brethren in Christ, USA.ホームページより翻訳・要約のうえ引用)。
1767年、ペンシルバニア州ランカスターにある大きな納屋を会場に行われた伝道集会でのこと。メノナイト派のM・ベームが説教をすると、ドイツ改革派牧師P・W・オッターバインはそれに深い感銘を受け、「我々は兄弟だ」と言って抱擁し合いました。この集会から、ドイツ移民の間にリバイバルが起こると、それはやがてペンシルバニア、バージニア、メリーランド、オハイオのドイツ語を母国語とする教会に広がりました。
この運動はやがて共通の基準と組織化の必要性を認識すると、1789年には、基本的な協議の概説としての「信仰告白」を著し、また1800年には、総会にて名称を定め、ベームとオッターバインをビショップに選出します。この時点で2人は70代半ばでした。
その後、教会は西部に広がり、オハイオ州、インディアナ州に及びました。それは巡回説教者による伝道方式で、1815年、説教者はフルタイムの選任であるべきとの指針が出されるまで、 農業従事者が説教者として巡回しました。同時に教会は奴隷制度に反対の姿勢を貫いたため南部への広がりは制限されました(以上、引用終わり)。
キリスト同胞教会は教派を超えた協力伝道運動から派生した教団であり、特定の教義を共有する、いわゆる教派教会というよりは、リバイバルに象徴される伝道共同体としての性質が色濃くみられます。
村上恵理也
松戸教会の120年 (1)
教会創立120周年を迎える2023年度、この紙面でも教会の歴史を概観します。
記録を辿ると、松戸教会の前身は1898年(明治31年)、吉田米吉が始めた伝道にあると考えられます。当時、吉田は「普連土会(フレンド派) 有給伝道師」として松戸町根本の借家を宣教の拠点としました(詳細地不明)。
吉田がまず属したフレンド派(キリスト友会)は17世紀のイングランドに起源をもちます。彼らは「クエーカー(震える人)」とも呼ばれ、「集団神秘主義(式順序をもたない沈黙礼拝)」、 また当時としては異彩を放つ男女の「平等主義」、そして兵役拒否を含む「平和主義」というキーワードによりその特徴が表現されるキリスト教の一派です。
この教派が日本に入って来たのは1885年、キリスト友会婦人外国伝道協会から最初の宣教師、ジョセフ・コサンドが派遣されたことによるといわれます。日本人信徒としては国際連盟事務次長を務めた新渡戸稲造、軍事費分の税金支払いを拒否した石谷行(いしたに すすむ)の名が知られています。
吉田はこの「普連土会(フレンド派) 有給伝道師」として松戸に辿り着きました。ところが、まもなく普連土会を離れ日本基督同胞(どうぼう)教会の伝道師となります。その背後には、日清戦争に対するフレンド派内の主流派、非主流派の見解の相違、外国人宣教師と日本人指導者の関係性を巡る問題のはざまで吉田が下した選択があると考えられます。そのため吉田は「有給伝道師」と位置付けられながらも、ある時期には自給伝道をしたと思われます。ちなみに吉田には筆職人というもうひとつの顔がありました。
ドイツ改革派教会の流れを汲むアメリカのキリスト同胞教会(The United Brethren in Christ)に連なる日本基督同胞教会については次号に記しますが、同教会が1903年、日本基督同胞教会松戸教会を設立すると、吉田を同教団の伝道師として任命しました。
松戸教会はこの1903年を創立年と記憶します。一方、「10月1日」については教団による認可日なのか、吉田の着任日なのか、未だ不明です。
村上恵理也