文語で味わうみことば

2019年06月

文語で味わうみことば 38

 偶像(べセル・ヘブライ語)の語源は、掘る(バーサル)にあるという。それは木であれ、石であれ、人の手が彫り刻む神ならぬ神。出エジプトの旅路、民はモーセ不在の不安から金の子牛を造り、それを伏し拝んだ。
 教会には金の子牛も、神をかたどった像もない。それゆえ、我々は偶像礼拝から自由であるというかもしれない。ところが、あなたの心がしがみつくものは何であったとしても、それがまさにあなたの神です(M・ルター)、との言葉を前にすれば、信仰者はすべて己が身を省みずにはいられない。
 偶像とは人の手ではなく、人の心が造り出す産物なのだろう。最も大切なのは、目に見える形をとっているか、否かではない。我々が何に重心を傾けているのか。主なる神を礼拝しているのか。それが常に問われている。

松戸教会 村上恵理也


2019年05月

文語で味わうみことば 37

 神のみを神とする。ときに教会の信仰が一神教と表現されるとき、その根拠に十戒の第一戒があげられる。事実、これを共有するキリスト教、ユダヤ教、イスラム教は唯一神教である。
 ただ、少なくとも第一戒が求めるのは、世に神々と呼ばれる存在のあることを否定することでも、それを破壊することでも、ましてやそれを信仰する人を蔑むことでもない。「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」とあるように、ここに問われるのは、ほかでもない、神と「あなた(わたし)」の関係である。
 パウロもいう。「たとえ天や地に神々と呼ばれるものがいても、わたしたちにとっては、唯一の神、父である神がおられ、万物はこの神から出、わたしたちはこの神へ帰って行くのです」(コリントⅠ八章五-六節)。今、神の御前で「あなた」の信仰が問われている。

松戸教会 村上恵理也