新しい旅立ちに生きる2014

ゾーエー・アイオーニオス(2014.12)

新しい旅立ちに生きる―27―

20141201mwm_ishii クリスマスを前にして、11月23日、横浜菊名教会の礼拝と午後の集会を終え、鎌倉に住む孫の大﨑結一家を訪ねた。大﨑家は、結は「ゆう」妻のまいひは「ママ」と呼ばれている。結の父母、大﨑洋・しのぶは「じいちゃん」「ばあちゃん」と呼ばれている。まいひの父母は「おじいちゃま」「おばあちゃま」と呼ばれているという。私たちは「錦パパ」「礼子ママ」と呼ばれている。小学一年生の「ふらわ」と幼稚園に通っている「心和(こわ)」とは、しのぶの葬式以来2ヶ月近く会っていなかった。二人とも私を「錦パパ」と呼び、23日夜から24日、結の弟、史丸と共に楽しい時をもった。錦パパじいさんの喜びの日であった。
クリスマスの諸集会は、二つの保育園のクリスマス祝会には出席できるが、その他は横浜菊名教会のクリスマス礼拝、イヴ礼拝その他のクリスマス祝会を守るために松戸教会の集会には出席できない。何かひとつ守るべきことを守っていない気持ちだ。横浜菊名教会は、2015年4月より主任牧師が与えられ、私の横浜行きの奉仕はなくなる。私より年少の牧師も引退されている人が多い中で、まだしばらく現職の牧師としても、社会福祉法人の理事長としても、やらざるを得ないことが待っている。
11月に社会福祉法人ピスティスの会の理事会、評議員会が開かれ、突然に来年4月から小規模保育室を開設することが決まった。松戸市の要請を受けての開設となり、二人の園長、理事である村上牧師の協力の下、第一平和保育園と第二平和保育園の間に「へいわオリーブ保育室」を始める。近隣のビルの一階を利用し、0歳から2歳までの乳児19名を定員とする保育室となる予定で、松戸駅周辺の待機児童を受け入れることができればと願っている。準備、工事などどうなるか、いろいろ問題はあるが、よい保育室としたい。
教会のみなさんの祈りと協力を願っている。


●石井牧師の予定●

  • 12月 7日 横浜菊名教会奉仕
  • 12月14日 横浜菊名教会奉仕
  • 12月21日 横浜菊名教会奉仕
  • 12月24日 横浜菊名教会
  •        クリスマスイヴ礼拝奉仕
  • 1月 1日 松戸教会元旦礼拝奉仕

ゾーエー・アイオーニオス(2014.11)

新しい旅立ちに生きる―26―

 10月は、二つの保育園の「わくわくプレイデイ(運動会)」に参加した。理事長職にあるので当然のことであるが、〇歳一歳で入園した子どもたちの成長した姿を見ることは嬉しい。子どもたちの動きを見ていると、私の動きはあきらかに衰えてきている。子どもたちの元気な姿に、私もチョッピリ 元気になってくる。
10月は台風18号、19号が日本列島を襲った。10月5日の礼拝を横浜菊名教会で守り、午後は嵐の中、横浜菊名教会員の新しい墓地にて埋葬式をする。そのまま羽田近くのホテルに行く。10月6日朝の台湾行の航空機に乗る予定で、早朝羽田空港に行ってみると、台北行の航空機は欠航。午後になれば何とか飛んでくれるかもしれないが、最悪は7日朝の便とのこと。台北行を心配してくれた人がいろいろ連絡を取ってくれて、午後3時すぎの関西空港への便を取ってくださった。関西空港から台北行に乗り、6日昼に着く予定が夜になった。翌朝、教団宣教委員会の人たちと合流して、台湾長老教会関係の大学、病院、神学校を訪問することができた。かつて別の仕事で台北に4日間ほど行ったが、その時は会議と少しの観光をして帰ってきた。台湾は、1895年日清戦争後、日本の植民地となり、1945年日本の敗戦により中国に返還、49年中国の内戦に敗れた中国国民党がここに移った。先住民は高山族であるが、住民の多くは漢民族で人口2270万人余と言われている。
台湾長老教会は一千余の教会数であるが70%~80%の教会が150名前後で礼拝を守っている。出席者数30名余の教会は開拓伝道教会だと教えられた。日本基督教団の教会は1700余あるが、礼拝出席の平均はどのぐらいですかと聞かれて「30名余」と答えると、台湾との違いに驚いていた。台湾のキリスト者は人口の3%という。日本のキリスト者は0.8%あるいは0.3%に近いと答えた。台湾のキリスト教会は社会的にも力を持っていると感じてきた。台南地区や先住民(台湾では誇りを持って「原住民」と言っている)の教会も訪ねてみたいと思って帰ってきた。日本の教会が多く学ぶべきものがあるとあらためて感じた。
日本基督教団総会が10月28日から開かれる。これからの教団の行方もちょっと心配している。


●石井牧師の予定●

  • 11月 2日横浜菊名教会奉仕
  • 11月 9日横浜菊名教会奉仕
  • 11月16日上総大原教会奉仕
  • 11月23日横浜菊名教会奉仕
  • 11月30日横浜菊名教会奉仕

ゾーエー・アイオーニオス(2014.10)

新しい旅立ちに生きる―25―

 9月17日の朝日新聞に「羽仁映画 再び注目」という見出しを見つけた。「1961年、一人の天才監督が彗星のように登場した。羽仁進、当時32歳。劇映画デビュー作の「不良少年」がキネマ旬報ベストテンの一位を獲得。作品が発表されるたびに斬新な作風が話題になった。しかし、徐々に映画から遠ざかり、忘れられた存在。その羽仁映画が今年、国内外から再び注目が集まっている」という書き出しであった。この「不良少年」が制作された舞台は、横須賀にある久里浜少年院であった。私は、当時久里浜少年院の教誨師をしていて、毎月少年たちにお話しに行っていた。少年院の教官は公務員なので映画に出演することができないので、私が少年院の教官、しかも「担当課長役」を頼まれた。(ちゃんとセリフを言っている場面もあります。)当時29歳だった私は、2日間、夜も遅くまで羽仁さんといろいろ話したことを思い出した。私は羽仁家、自由学園、友の会などを知っていたし、羽仁さんはキリスト教を知っていたので、楽しく話した。別れるときに、羽仁さんが私に「あなたは、〝乱世の牧師さん〟ですね」と言ったことを思い出した。彼とほぼ同世代を生きてきたので、戦後の日本のさまざまな状況を話し合って、お互いに生きるなかで感じた問題を話したと思う。そして羽仁さんは私に〝乱世を生きる牧師〟と言われた。振り返ってみると、日本キリスト教団の乱世を生きてきたし、松戸教会も、社会福祉の働きもずっと乱世の中を生きてきた。〝乱世を生きる牧師〟と評価されるのを光栄(?)と思って生きている生活が今も続いている。
新聞などでも折々報道されているように、来年から子どもに関わる制度が大きく変わることになっている。そのために各市町村でも「子ども・子育て会議」がつくられた。国の方針のもとに各市の中で具体的な子育てのあり方を考えている。私も長く保育園に関わり、十数年前からは、父母会運動ではじまり現在では国も公的に認めるようになってきた「放課後児童クラブ」(以前の「学童保育」)と関わりをもっている。松戸市は10年以上前に松戸の「放課後児童クラブ」も含めた学童保育のあり方について今後の方向を審議した。私もそのメンバーの一人として、松戸市における「放課後児童クラブ」はNPO法人または社会福祉法人によって運営するという基準を作った。私は初代の「松戸市放課後児童クラブ法人連絡協議会」会長になり10年以上会長職を続けている。現在は、松戸市の小学校44校すべてに児童クラブを設置して運営している。この方式は、全国的にひとつのあり方として評価されているようだ。しかし課題・問題はいろいろあるので、子育て会議である方向性を出して、よりよい児童クラブにしていきたいと願って、松戸市の子育て支援に私のできる協力を続けている。週日は市役所での会議にたびたび出かけている。

 9月20日に娘しのぶが、あと数日で56歳になる前に死を迎えた。今年の3月から入院生活をしていたので、時間のある限り病院に見舞いに行っていた。10年ほど前に乳ガンになり、回復したが、その後脳へ転移し、放射線治療を受けていた。しのぶには二人の男の子が生まれたが、上の子はアメリカの高校、大学へ行き、共に学んだ女性と早く結婚した。結婚式も私の司式であった。その孫に二人の女の子が誕生し、しのぶは「おばあちゃん」生活を喜んでしていた。夫の大﨑洋もそんなしのぶの生活をよしとしていた。洋さんは、しのぶと共によく仕事も含めて海外のあちこちに行っていた。グアム島へもよく行っていて、会社の人たち、友人たちとよい交わりをしていたようだ。私の2回ほどの海外旅行のときも付き添いということで共に行ってくれた。性格の半分は、私と同じようなところがあり、多くの人との交わりがあったようだ。洋さんは、しのぶの死を病院で迎えたときに、私に「お父さんもしのぶも長く生活した松戸教会で葬儀をしてほしい」と話してくれた。私も一瞬迷ったが、洋さんの申し出を感謝して受けて、9月21日「通夜の祈り」をひとりで、22日の「葬送式」は村上牧師に司式をしていただいて、説教をした。親としては心の痛みを強く受けたが、しのぶと大﨑家の交わりの中、大﨑洋が責任をもっている吉本興業のみなさんの支え、松戸教会員の奉仕によって葬儀を終えることができた。娘しのぶの死を共に悲しんでくださった方々に、心から感謝しています。
みんなに心配されながら、私に与えられている奉仕は休むことなく続けています。ご休心ください。感謝して。


ゾーエー・アイオーニオス(2014.9)

新しい旅立ちに生きる―24―

 清里キャンプは、今年で36回を数える。子ども113名、リーダー39名、総勢151名のキャンプとなった。清里キャンプは松戸教会の「子どもの教会」の大切な行事である。このキャンプには第一、第二平和保育園の年長組(ばら組)も集う。小さな子どもとの三泊四日の生活である。事故があったらどうするのかという不安の声を聞く。私は5歳児から小学6年生までの縦割りグループでの共同生活は心理的自立と自主性をもつ訓練ができると願い、行ってきた。しかし、清里キャンプが現在のように行えるようになるには、混乱や批判もあり、やめなければと思ったときも何度かあった。参加するリーダーも、みながキリスト者ではないが、キリスト教信仰の基本生活を共に経験することによって教会生活を始めてくれることを祈って続けてきた。
毎年、よいものを残し、変えるべきものを変えていくことが必要だと思っている。清里キャンプだからできることを毎年祈って新しくしていかなければならない。と同時に教会全体がこのために支え、祈り、奉仕する態勢を整えることが必要である。清里キャンプから、キリスト者が生まれてきてくれることが、私の一番の祈りである。
日本キリスト教保育所同盟が、毎年行ってきた「夏季保育大学」56回目を今年は東京地区の園長、保育者たちが準備し、霊南坂教会とホテルオークラを会場にして開いた。参加者は324名であった。講師の渡辺和子さんは修道女として、大学学長として、多く書物を出版されている方で86歳の高齢にもかかわらず1時間半の講演を立ってされた。こぐま社創設の社長であった佐藤英和さんも同じ年齢で1時間半、絵本について語ってくれた。佐々木正美さんは、乳幼児保育を学ぶ人たちにはよく知られた講師で年齢的には70代後半であるが、療養中で、奥様付き添いで講演を1時間半してくださった。加えて霊南坂教会の主任オルガニスト今井奈緒子さんが、解説を加えてパイプオルガンの演奏をしてくださった。よい学びと感動のときであった。わたしは閉会礼拝の説教を担当して、おわりにキリスト教保育園で働く人々の多くがキリスト者ではない現状があるが、毎日の保育の中で、園児と共に讃美歌を歌い、祈りを捧げている。できるなら教会生活を続けてキリスト者になってくれることを期待し祈っていると語った。


●石井牧師の予定●

  • 9月 7日 横浜菊名教会奉仕
  • 9月14日 横浜菊名教会奉仕
  • 9月21日 上総大原教会奉仕
  • 9月28日 横浜菊名教会奉仕

ゾーエー・アイオーニオス(2014.8)

新しい旅立ちに生きる―23―

 私は1952年の11月に、上総大原教会牧師(正確には伝道師)になった。当時は、歴史のある大原幼稚園もあり、日曜日は、子どもたちも多く教会に来ていた。私の時代は3年間補教師(伝道師)をして4年目に正教師試験をうけて、正規の牧師となった。大原教会で6年間の在任中20名をこえる受洗者がいたが、大原教会在任のおわりの1年だけ、私が洗礼をさずけることができた。それから50年以上、大原から離れていたが、今は、毎月1回は礼拝にいき、代務主任牧師として奉仕している。かつての在任の後半は、大原、御宿、勝浦の教会の責任ももった。日曜日、午前大原、午後御宿、夜は勝浦で、当時は教会学校にも多く出席してくれたので、日曜日は6回の説教をした。
明治のおわりの頃の辞書は、「海水浴」という項目に、「大磯、大原などにある」と書かれていると聞いた。大原海水浴場はもっとも古い海水浴場のひとつである。大原の海や、岩の美しさをたずねて、文学者、詩人たちもたずねてきた。今も伝説として残っているのに「海中桜」がある。しかし、伝説ではなく事実あったようだ。八幡崎は大きな岩を裁ち割った崎だ。崎の先にいくつか雀島という岩があった。その岩に山ザクラが3、4本あちこちに立って、満潮の時に水の中にひたって、まさに海中ザクラとして、子どもたちは泳いで桜の植っている岩から岩へ泳いでいったようだ。事実、大正、昭和の初期にはあった。今は、岩も浸食されて消えてしまった。海水浴場も今は漁港になっている。
山本有三は『真実一路』という小説の中で、大原海水浴場へ避暑にきて、主人公の義夫少年が、浜の左はしの塩田川(小説では志保田川)の下流の橋のたもとで、イナ釣りをしていた。小説では、塩田川の橋のたもと場面は、重要人物があつまって、それぞれの真実がぶつかり合い、事実が浮き上がる重要な部分になっている。この橋は、私がいた頃はあったので、大原の浜と、八幡崎、塩田川を歩いていたなつかしいところだ。今は、塩田川は改修工事がされて、橋も新しくなって、小説にちなんで「一路橋」と名付けられている。
現在、大原は「いすみ市」になり、昔の面影はほとんどなくなったが、もう一度、自然の美しさをとりもどして、人々がたずねてくる町になってほしいと思っている。


●石井牧師の予定●

  • 8月 3日 横浜菊名教会奉仕
  • 8月10日 横浜菊名教会奉仕
  • 8月17日 上総大原教会奉仕
  • 8月24日 横浜菊名教会奉仕
  • 8月31日 松戸教会奉仕

ゾーエー・アイオーニオス(2014.7)

新しい旅立ちに生きる―22―

 私の書斎は、椅子と机はあるが、椅子のまわりは本が積み上げられて、ようやく座れるだけだ。机の上はA4の原稿用紙がおけるだけで何とか書くことはできるが、そのまわりは十数冊の本や雑誌が積み重ねられている。
ときに、まず机の上を整理しようと思って、本や雑誌を見てぱらぱらと読みだすとそのまま1冊の本と2、3の雑誌を読み続けてしまう。これもまだ片づけられない、もう少し読みたいところがある、と思う本は再びもとのところに積んでおく。主任牧師の責任がなくなったら、少しは書斎が片付くかと思っていたが大きな書庫も別室も廊下もようやく人が通れる状態だ。「このまま死なれては困る」と厳しい言葉がいつも聞こえてくる。
本だけではなく書類も多すぎる。関係している施設、委員会、団体の書類もあちこちにある。主任牧師の責任はなくなったが、まだ毎週礼拝説教はしているし、週日は関係している施設に行って、子どもたちや職員に話をしている。その上、松戸市のいくつかの会議、千葉支区、教団関係の委員会にも出席している。休めないから元気でいられるのか、と思っているが、先輩、友人は引退している。引退だけでなく、もう何人もの人々を天に送った。その人々に「もう一度会いたい、話したい」と強く心に思う。信徒の友人、牧師の友人、交わりをもった人たちに「なぜ、もういないんだ。」と、会えない悲しみと淋しさを感じている。
しかし、後ろを振り返っているだけではなく、まだあれもこれもしなければならないことが多くある。あれこれと夢も希望もいっぱいある。私のできることはやらねば、と毎日朝は夢と希望をもって起きる。夜は、あれこれと将来の幻をみる。本と書類の山の中で、今日も生きていこう。生かしてくださいと祈って一日の終わりを迎える。
今月は、私の「ひとりごと」を書きました。追憶をひとつ。
作家の渡辺淳一が亡くなったとき、彼の書いたものはほとんど読んでいないが、書斎のどこかにもぐっている歌人 中城ふみ子の生涯をたどった『冬の花火』を思い出した。彼女は乳がんで若くして死んだ。第一歌集『乳房喪失』は忘れられない本の一つだ。40年前の書斎にあった。いつかまた読んで、と現れてくるかな?


●石井牧師の予定●

  • 7月 6日 横浜菊名教会奉仕
  • 7月13日 横浜菊名教会奉仕
  • 7月20日 上総大原教会奉仕
  • 7月27日 横浜菊名教会奉仕

ゾーエー・アイオーニオス(2014.6)

新しい旅立ちに生きる―21―

 社会福祉法人ピスティスの会は、昨年10月から松戸市の委託を受け、松戸ビルヂング4階に「E‐こどもの森・ほっとるーむ松戸」を開設した。主に0~3歳児向けの親子の遊び場である。毎日50から80組ほどの母と子、父と子、祖父母も来る。この場所で、親子、子ども同士が遊び、楽しんでいる姿が、新しい形での子育て社会を生み出している、と感じている。
同じ場所で一時預かり保育もしている。病院にいく母親が、乳児を連れて行けない時などに、4時間を限度としての預かりだ。
もう40年ほど前に、ソニーの井深大さんの『幼稚園では遅すぎる』という本がベストセラーになった。井深さんは「0歳から2歳くらいの間に、脳に徹底して刺激を与えてください」と書き、「その時に厳しい教育ママになっても子どもは3歳までの記憶はあまり残らないから大丈夫、3歳になったら、やさしい母親に戻ってあげなさい」と書いた。そこで早期教育業者が「3歳までに脳は決まる」といって早期教育の宣伝を始めた。
井深さんの早期教育には後日談がある。井深さんは、幼児開発協会といういわば早期教育の団体を作って、そこで0歳の赤ちゃんに漢字などを一生懸命に教えるという実験じみたことを親にしてもらったところ、「20年やってみてわかったことは、いわゆる早期能力開発は必要ないことだ」と朝日新聞に書いた。その新聞を読んだある幼稚園の園長が、井深さんに「いわゆる早期教育というのは必要のないことですか」と聞いたところ、井深さんは「いや、そうではないですよ。心の早期教育は必要です」と答えたそうだ。「心の早期教育とは何ですか」と聞くと「それはね、かわいい、かわいいとしてやる母親の愛情だ」と言われた。こういう早期教育は、誰でもやっている。この当たり前のことが大事だったということを、正直に言った井深さんは立派だと思った。ただ残念ながら井深さんの『幼稚園では遅すぎる』の言説が強く残っていて、早期教育で刺激を与えなければと、若い親たちを苦しめている。井深さんが「心の早期教育」というところの教育、育児をすることが大切なことだと訴えたい。ほっとるーむが「キリスト教保育の心」に基づく心の教育の場所になればと願っている。「こころ」「信じるこころ」「愛するこころ」を育て合う場としたい。


●石井牧師の予定●

  • 6月 1日 横浜菊名教会奉仕
  • 6月 8日 横浜菊名教会奉仕
  • 6月15日 上総大原教会奉仕
  • 6月22日 横浜菊名教会奉仕
  • 6月29日 横浜菊名教会奉仕

ゾーエー・アイオーニオス(2014.5)

新しい旅立ちに生きる―20―

 まどみちおの「れんしゅう」という詩がある。作者は、今日という日の死を考える。

 なぜなのだろう
「今日」の「死」という
とりかえしのつかない大事がまるで
なんでもない「当たり前事」のように毎日
毎日くりかえされるのは つまりそれは

ボクらがボクらじしんの死をむかえる日に
あわてふためかないようにと あの
やさしい天がそのれんしゅうをつづけて
くださっているのだと気づかぬバカは
まあ この世にはいないだろうということか

まどさんらしからぬ皮肉な詩だと、はじめに読んで感じた。このバカの瞑想は意外に心が落ち着くなと思った。今日の一日を生きたということが死の準備とも気づかぬバカはどうしようもない、というまどさんの気持ちを感じて、バカにならないよう、今日の一日を生きていこうと思った。
四月は、受難週から、復活日を迎える日々を送った。松戸教会で迎えていた復活日の守り方とはちょっとちがう形で菊名教会の復活日を守った。まず、受難週は、洗足礼拝を守るというので、「洗足礼拝」をすることにした。受難週の説教のあとで、洗足を洗手に変え、洗面器の水に手をひたし、私がひとりひとりをタオルで拭いて、短く祈る。「あなたは主イエスによってきよめの恵みを与えられました。主のみこころに従って生きてください」。出席者ひとりひとりに祈った。復活日の朝は、三ツ沢墓地にある菊名教会墓地で墓前礼拝をし、九時から教会学校の幼小科中高科の合同礼拝、さらに復活日主日礼拝、聖餐式を守った。午後は総会を守った。菊名教会は四月に予算、教会の一年の計画、役員選挙の総会をし、五月に決算、昨年度の報告の総会をする慣例になっているとのことで、主任牧師としての責任を果たした。菊名教会の総会、大原教会の総会、さらに千葉支区総会と続いて守った。四月一日から、菊名愛児園の園長職は専任の方にお願いをした。園長職を離れることができたので、少し週日、菊名にいることが少なくなった。
松戸に帰っての一週間は社会福祉法人ピスティスの会の各施設の働きを、理事長として支えている。「子ども・子育て」の新しいあり方を築く力となりたい
松戸教会牧師 石井錦一


●石井牧師の予定●

  • 5月 4日 横浜菊名教会奉仕
  • 5月11日 横浜菊名教会奉仕
  • 5月18日 上総大原教会奉仕
  • 5月25日 横浜菊名教会奉仕

ゾーエー・アイオーニオス(2014.4)

新しい旅立ちに生きる―19―

 かなしみと
わたしと足をからませて、
たどたどとゆく

 八木重吉の詩を、ふと口ずさむ思いを感じさせてくれたのは、横浜菊名教会で、ガンで52歳の女性の葬式をしたときである。キリスト教主義の大学で学んだが、教会生活をすることはなかった方であった。ガンの宣告を受けて、入院した病院から、自宅のマンションの窓から、教会の十字架の塔がよく見える病床の生活をされていた。母親に「私が死んだときは、あの教会で葬式をしてもらえるとうれしい」と願いを語っておられた。母親は、教会に訪ねてきて「葬式をしてもらえますか」と言われたので、私は代務主任牧師として、私の事情に合わせてくだされば葬式をしますと約束した。52歳の死であり、多くの友人・関係者が葬式に来られた。その葬式をしながら、八木重吉のことばを思った。まだ、たくさんのしたいことを残して死を迎えた人に、天のみ国へ「たどたど」ではなく、しっかり歩んでいってほしいと祈った。
3月11日から3日間、仙台で、日本キリスト教団の東日本大震災国際会議に出席した。海外のキリスト者が150人、教団から150人ちかくの人々が出席していた。「原子力発電」の安全神話がくずれてしまっている中で、日本の国の将来の在り方を考えさせられた。
また、3月15日には、第一、第二平和保育園の卒園式に出席した。赤ちゃんで入園してきて、5年、6年の保育園生活で成長した子どもたちの姿をうれしく感謝した。菊名愛児園においては園長職として出席し、卒園証書をひとりひとりの名を呼んで渡した。
3月は喜びと感謝とそして悲しみも味わいつつ過ごした。
●石井牧師の予定●


  • 4月 6日 横浜菊名教会奉仕
  • 4月13日 横浜菊名教会奉仕
  • 4月17日 横浜菊名礼拝奉仕
    (受難週礼拝)
  • 4月20日 横浜菊名教会奉仕
    (復活日礼拝)
  • 4月27日 上総大原教会奉仕

ゾーエー・アイオーニオス(2014.3)

新しい旅立ちに生きる―18―

 松尾芭蕉は生涯旅に生きた人である。評価は色々あるが、芭蕉はわび・さびという中世の美意識を大切に生きた人であった。わびは不自由、不足を肯定する姿勢であり、さびはさびしさを肯定する姿勢だった。彼の句に“薦(こも)を着て、たれびといます、花の春”がある。「花の春」は新年の季語、はなやかな春の意に対して、「薦」は「まこもやわらで粗く(あらく)織ったむしろ」を意味する。「はなやかな新春、薦をかぶってどなたがいらっしゃるのでしょうか」である。牧師としての生活、保育園や児童クラブの子どもとの交わりをもっている生活は、まさに「薦を着ている」ような思いだ。もちろん、貧しさに生きているわけではなく、ある生活の豊かさを与えられているが、教会、社会福祉の責任は、心の思いでは「薦」を着るような、さまざまの課題がある。
『信徒の友』は創刊50年を迎える。創刊のときから関わりをもち、その後20年余は編集長として責任をもったことを、少し語った(4月号に掲載)。もっともよい読者であり、支えてくれた信徒は、全国の教会から、すでに天に召されている。教会のため、『信徒の友』読者として支持してくれる人びとは少なくなった。信仰の基本の学び、教会生活の守り方、キリスト者として生きる指針を正しく示していく『信徒の友』であってほしいと願った。
松戸教会員の笠原仰二さん87歳の死の知らせをうけ、村上牧師司式の葬儀に出席できた。松戸教会に出席以来、忠実に礼拝生活を守り、大手の建設会社の役員もされた方だが、「折紙」を趣味として、教会の人たち、子どもの教会、保育園にたくさんいただいた。趣味をこえて、見事な芸術作品であった。ご家族のために祈った。
横浜菊名教会では、52歳の婦人が死去され、2月26日に教会で葬儀をした。教会員ではなかったが、病院からも自宅からも菊名教会の十字架の見える生活の中で、自分の死のときは、あの教会で葬式をしてほしいと願っておられて、お母さんが教会を訪ねてきた。知人、友人100名を超える方々が葬式に参列された。
生前に交わりのない方の葬儀も、願いと希望により、教会はうける責任があるとあらためて感じた。
松戸教会牧師 石井錦一


●石井牧師の予定●

  • 3月 2日 横浜菊名教会奉仕
  • 3月 9日 横浜菊名教会奉仕
  • 3月11日~14日
    震災国際会議(仙台)
    教団宣教委員会
  • 3月16日 上総大原教会奉仕
  • 3月23日 横浜菊名教会奉仕
  • 3月30日 横浜菊名教会奉仕

ゾーエー・アイオーニオス(2014.2)

新しい旅立ちに生きる―17―

 岡部伊都子という作家の書いた本10冊以上が今、書斎のあちこちにある。
彼女の書いたエッセイを思い出す。彼女がまだ小さい子どもだった頃に、若い叔父が、彼女やいとこたちを、どこかの菜の花畑に連れて行ってくれた。そこは、子どもの足ではかなり歩いて行くところだった。みんなただ黙って一面に咲く菜の花を見て、また帰ってきた。それだけのことだった。それを岡部伊都子は、おとなが子どもにする親切とはこういうものではないかと、書いていた文章が忘れられない。40年位前に、『信徒の友』の編集長として、京都の彼女の家を訪問して、雑誌に一文を書いていただいたことがある。
新年を迎えて、元旦礼拝は松戸教会で説教をした。上総大原教会、横浜菊名教会での礼拝を1月も守った。それと同時に、松戸の2つの保育園の園児たち、菊名愛児園の園児たちに、短いお話をし、出会うときをもった。さらに、「ほっとるーむ松戸」に行って、乳児をもつ親子と手をふり、手をにぎる交わりをもった。黙って菜の花畑につれていって帰った…そのことのなかにある若い叔父のやさしさと親切が、岡部伊都子の心にずっと残っているように、ただ顔をみるだけ、手をにぎり合うだけの出会いが、私にとっては、出会った人々、子どもたちを忘れないひとときであった。出会った人たち、子どもたちはどのように思い、感じてくれたか。何も記憶に残らなくても、人間に会えるよろこびを、私は今、深く思っている。
1月20日~21日に、マケドニヤ会に参加した。今年は、「戦後の日本基督教団とマケドニヤ会」との題で私がお話をした。私に洗礼をさずけてくれたE・ラング宣教師が、現日本同盟基督教団となる諸教会と共に日本基督教団を離脱するときに、わずか10あまりの小教会が教団1700余教会の中に残った。教団の中で、少数の教派となった中、当時の先輩の牧師たちが、伝道と教団のために奉仕をしていった歴史を語った。私の信仰の原点にかえって、ラング先生が残してくれた「マケドニヤ会」の志を、今、日本の教会の中にどのように伝えていくかを、参加者と共に祈った。マケドニヤ会の精神は、主イエスの福音を、今の時代の中に、語り続けていくことである。この使命は、すべての教会の中で伝えられていかなければならない。
松戸教会牧師 石井錦一


●石井牧師の予定●

  • 2月 2日 横浜菊名教会奉仕
  • 2月 9日 横浜菊名教会奉仕
  • 2月16日 横浜岡村教会奉仕
  • 2月23日 上総大原教会奉仕

ゾーエー・アイオーニオス(2014.1)

新しい旅立ちに生きる―16―

 むかし、ある地方には、「笑いの貧乏」という言葉があったという。子どもたちの遊びを眺めていると面白く、つい仕事の手が止まるので、稼ぎが減ってしまうことらしい。幕末の日本には、子どもの遊びを朝から晩まで、一日中眺めて笑っている大人たちがたくさんいたようだ。今の大人たちの、子どもの生活と遊びを見つめる目は、どうなっているだろうか。
12月は、たくさんのクリスマスを守った。第一平和保育園の乳児クラスのクリスマスは保護者と共に。第二平和保育園でも同じように守った。両保育園の幼児クリスマス会は教会堂で守った。ページェント(降誕劇)は年長組にとって保育園生活の忘れない思い出となっている。ほっとるーむ松戸でも、0~3歳までの子とその親が60組をこえて集まって、クリスマス会をした。すべてに短いクリスマスのお話をした。子どもと共にいる喜びを味わった。
横浜菊名教会のクリスマス礼拝、イヴ礼拝で説教し、菊名愛児園では、年長組のページェントは教会堂で保護者と共に祝い、翌日、園児だけでページェントを含むクリスマス会を守り、25日に幼児組全部でクリスマス礼拝を守った。3回のクリスマスでクリスマスの話をした。
さらに40年以上、毎年招かれている、障害研松戸サークルのクリスマス会、「牧師さんもくるよ」と宣伝されているクリスマスを「ふれあい21」で話してきた。昨年から、松戸教会のクリスマス集会に出席できないのは淋しいが、それ以上にたくさんのクリスマスを守り、子どもの笑顔と一生懸命にクリスマスを祝う姿に、毎年心の安らぎと喜びを与えられる。
「笑い貧乏」「クリスマス貧乏」?だが、心は豊かにしていただく。牧師、園長に与えられる祝福にあずかった。
上総上原教会には毎月1回の礼拝、横浜菊名教会は毎月3回、4回の礼拝をして週日には、愛児園の子どもたち、職員との交わりとお話、残された週日は、松戸での保育園、児童クラブ、ほっとるーむ、さらに松戸市の子育て支援課の人たちへの協力と、うれしいほどたくさんの子どもたちとの出会いを与えられている。
今、これからの日本の「子育て」の新しい方向にしっかりとした基本を築いていかなければと思っている。
松戸教会牧師 石井錦一


●石井牧師の予定●

  • 1月 5日 横浜菊名教会奉仕
  • 1月12日 横浜菊名教会奉仕
  • 1月19日 上総大原教会奉仕
  • 1月26日 横浜菊名教会奉仕

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