新しい旅立ちに生きる2013

ゾーエー・アイオーニオス(2013.12)

新しい旅立ちに生きる―15―

 10月5日に、松戸市の委託を受けて、社会福祉法人ピスティスの会が、松戸ビルヂングの4階に「E‐こどもの森 ほっとるーむ松戸」を開設した。300平方メートルの広いフロアで、0歳から3歳の乳幼児が主に母親と共に来て、自由に遊ぶことのできる場所である。父親やおばあちゃんも参加している。今は育児休暇が1年になり、働く母親にとって、子どもと一緒の生活ができるようになったことはよいことだと思う。赤ちゃんのときの親子関係が、子育ての基本であることが指摘されてひさしい。「赤ちゃん学会」の専門指導者たちも、赤ちゃんのときからの子育ての大切な問題を発表している。「ほっとるーむ」において、幼い子どもをもつ家庭との交わりをもてることは喜びである。よい子育てのあり方を具体的に実践できる場所にしたいと願っている。
大阪城北教会に招かれて、土曜日には教会幼稚園で働く先生たちと関係の方々に、国の子育て三法が2015年から具体的に始まっていくことで起こる問題と、教会幼稚園のあり方について、私の理解していることを話した。また日曜日には礼拝説教を奉仕し、午後は信仰と教会生活の基本について話した。牧師夫妻、教会のみなさんとよい交わりのときを与えられた。松戸教会の田中信夫さんのお母さんが、城北教会で洗礼を受け、結婚式もされた母教会ということで、神戸から来てくださり、一日共に交わりのときをもった。教会員の方々も、直接間接に、私が交わりをもった方々と知り合いであり、長く牧師として歩んできた恵みとして感謝した。
松戸教会の墓前礼拝には出席できなかったが、菊名教会の墓前礼拝、愛児園の七五三祝福式、教会の幼児祝福式をした。墓前礼拝には、昔の青年が参加してくれていて、私のためにいろいろ配慮してくれた信徒の方々を憶えて、感謝して祈りのときをもった。
心配をかけている私の健康状態は、順調とはいえませんが、とにかくあちこち出かけて奉仕をしています。守られていることを感謝しています。
松戸教会牧師 石井錦一


●石井牧師の予定●

  • 12月 1日 横浜菊名教会奉仕
  • 12月 8日 横浜菊名教会奉仕
  • 12月 15日 上総大原教会奉仕
  • 12月 19日~20日 菊名愛児園 奉仕(クリスマス会)
  • 12月 22日 横浜菊名教会奉仕
  • 12月 24日 横浜菊名教会奉仕(クリスマスイヴ礼拝)
  • 12月 29日 横浜菊名教会奉仕
  • 1月 1日 松戸教会奉仕

ゾーエー・アイオーニオス(2013.11)

新しい旅立ちに生きる―14―

  前回報告した、私の「顔面神経麻痺」は、少し後遺症がありますが、普通の生活ができています。ご心配をかけました。
昨年1年間は、牧師の死去した教会、辞任した教会などあちこち、ほぼ毎週日曜日は出かけていました。松戸教会に出席できたのは数回でした。今年4月から、この紙面で報告しているように、横浜菊名教会の牧師と、菊名愛児園の園長責任をもっており、菊名には毎月の半ばを費やしています。
松戸教会は今年創立百十周年の記念礼拝を行うことになり、4回の記念礼拝をもちました。今年度の計画をしたときには、4回の礼拝は、私も全部出席すると約束していたのですが、前述のような事情で、9月29日だけの礼拝出席、記念説教をすることになりました。「主よ、わたしの祈りをお聞きください」と題して説教しました。51年間の松戸教会の歩みを憶いつつ、これからの松戸教会のために祈りつつ、語りました。当日は、教会員の人たちから、「久しぶり」「元気でいてください」と声をかけられ、久しぶりに会った教会の方々との交わりをもった。

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記念礼拝後、ご家族とともに

 この日、私の在任中は折々に礼拝出席してくれていた娘一家と息子も出席してくれて、家族みんなで食事を共にした。私の孫の子どもたち、私が「曾祖父」(ひいじじ)にあたる幼児もきてくれた。娘夫婦は「じいちゃん」「ばあちゃん」と呼ばれているが、私は、孫たちから「錦パパ」と呼ばれていたので、曾孫も「錦パパ」と呼んでくれています。教会の孫たちも、久しぶりの私を歓迎してくれました。

 伊豆大島の災害のニュースで、大島元村教会の保育園園長もした役員の死も伝えられました。元村教会とは私の神学生時代から交わりがあり、島の人びと、教会、保育園の人たちのために祈りを捧げた。

松戸教会牧師 石井錦一


●石井牧師の予定●

  • 11月 3日 横浜菊名教会奉仕
  • 11月10日 横浜菊名教会奉仕
  • 11月17日 大阪城北教会奉仕
  • 11月24日 横浜菊名教会奉仕

ゾーエー・アイオーニオス(2013.10)

新しい旅立ちに生きる―13―

  松戸市の放課後児童クラブの法人協議会の会長責任を10年以上続けている。8月29日に行われたこの協議会の会議の席上で、眼の異常な痛みと言葉がもつれるのを感じ、眼科に診療を受けにいこうと思ったのだが、その痛みは耳鼻科がよいと聞き、医師の診察を受けた。結果、左顔面神経麻痺との診断で、即刻入院した方がよいと言われた。8月30日~9月2日まで予定していた、横浜菊名教会での礼拝その他の集会での奉仕はできず、礼拝は他の牧師にお願いした。
1週間の入院で、毎日点滴の治療をうけた。ノルウェーの画家ムンクの「叫び」は、顔面神経麻痺の顔だったと教えられた。言葉を長く話すことができないと感じたので、9月8日の礼拝も他の牧師にお願いした。9月7日から9日まで横浜に行き、礼拝において聖餐式だけ執行した。少し言葉がもつれた感じであった。医師からは、リハビリをしていけば少しずつよくなるので、できることは何をしてもよいということだったので、すでに約束している責任を果たすことにした。9月13日は、清水ヶ丘教会での聖書学校(信徒養成講座)で2時間の話をした。翌日は、菊名愛児園の保護者会で1時間の話をした。原稿なしで話したが、一応理解していただける内容を語ることができた。9月15日は上総大原教会の礼拝で、説教、聖餐式をすることができた。多くの人、家族に心配をかけて申し訳なく思っている。
入院中、特別お世話をしていただいた看護部長はキリスト者であり、感謝している。彼女は、治療をうけている病気のひとつひとつを私が楽しんでいるように見える、という。言われてみると、私はひとつひとつの病気を、「私の生活にかけがえのない病と痛み」「これは、神さまの与えてくれる、ちょっぴり苦しいけど、恵み」と受けている。癒されがたい病の中にいる人には申し訳ないが、神の試練より、恵みとして受けとめようと、あるときから決心した。病気の治療中は、苦しいし、痛みや不安もあるが、私の生きていくための恵みの痛み苦しみと受けとめてみると、何かほのかな希望と光を見ることができるようになってきた。心配をかけている人には「ありがとう」といって、今日できること、明日することを準備して生きることにした。
松戸教会牧師 石井錦一


●石井牧師の予定●

  • 10月 6日 横浜菊名教会奉仕
  • 10月13日 横浜菊名教会奉仕
  • 10月20日 上総大原教会奉仕
  • 10月27日 横浜菊名教会奉仕

ゾーエー・アイオーニオス(2013.9)

新しい旅立ちに生きる―12―

 8月は、きびしい暑さの中で、松戸教会の子どもの教会を中心とした「きよさとキャンプ」がもたれ、年長組園児から小学6年生までの子ども110名とリーダーを合せて150名の人たちが、3泊4日の生活を共にした。このキャンプ生活は、礼拝と祈りとを中心に、園児と小学生のたて割りのグループ編成で、4日間の生活を共にしている。きよさとキャンプは、35年も続けている。「きよさと」の地を、神さまのことを学び、祈った「こころのふるさと」にしたいという思いをもち、今年も続けられていることを感謝して共に生活をしてきた。
8月11日の主日礼拝は、西千葉教会の平和聖日として、礼拝説教「やすらぎとあらそいの中で」の題で、戦争と平和に対するキリスト者の生き方の基本について語った。午後は、私自身の戦前の軍国主義の教育を受けた少年期、敗戦後の生活からキリストを信じて生きてきた歩みを語った。同世代の信徒の方々には、共感をもっていただいたようである。
上総大原教会は、月に1回の礼拝と交わりのときをもっているが、10名前後の礼拝者との交わりにおいて、いつも祈りあっていかなければならないことが多くある生活を続けている。
横浜菊名教会の礼拝は、毎週100名余の人たちが集まり、教会学校、婦人会、壮年会もよい交わりをもっている。私は、役員会と共にそれぞれの集会に参加して、教師の責任を果たしている。加えて、菊名愛児園は120名の定員の保育園であり、園長として責任をもっている。園児たちは、「園長先生」と声をあげて集まってくれるが、先生たちの研修、保護者たちとの交わりは、これから何とかしていかなければならないという思いである。いつまでも続けていくわけにはいかないので、適任の牧師、園長が来てくれるための努力はしているが、人を選任することの難しさを感じている。
毎年参加している夏季保育大学は、今年は金沢であり、200名余の人々とキリスト教保育についての研修をもった。2001年に「赤ちゃんを中心とした学問」の構築を目指して設立された「赤ちゃん学会」の研修をした。21世紀の課題として、乳幼児の子育てに関わる人たちが、共に学ぶ責任があると深く思っている。
松戸教会牧師 石井錦一


●石井牧師の予定●

  • 9月 1日 横浜菊名教会 奉仕
  • 9月 8日 横浜菊名教会 奉仕
  • 9月15日 上総大原教会 奉仕
  • 9月22日 横浜菊名教会 奉仕
  • 9月29日 松戸教会 奉仕

ゾーエー・アイオーニオス(2013.8)

新しい旅立ちに生きる―11―

 7月の月報で「子ども、子育て関連3法」について書いた。すでに国の「子ども、子育て会議」は、何回か開かれて、日本の「子育て」支援の方向について会議が開催され、その議事内容も報告されている。松戸市も6月市議会で、松戸市における「子ども、子育て会議」の第1回を8月に開くことを決議した。松戸市における「子育て」支援事業のあり方が、今後2年間かけて話し合われる。この会議において、子どもたちのために、地域社会がどのような支援を行ったらよいのかを定めてゆく。保育園、放課後児童クラブを運営している社会福祉法人ピスティスの会として、松戸市における子育ての責任を担わなければならない。これは法人だけの問題だけでなく、松戸教会の役員会、各部各会においても、関心をもって法人と共に子どもたちのために負う責任を果たしてほしいと願っている。
7月15日~16日に教団宣教委員会(この会は教団の伝道、教育、社会の各委員会の委員長および自主活動団体(婦人教会幼稚園、保育園の責任者)によって構成されている)が開かれた。宣教委員会で、「子ども、子育て関連3法」の内容と、教団として、教会幼稚園、保育園に対しての宣教課題について、発題を40分ほどした。みな関心をもってしばらく議論をすることができた。
子どもの教会を中心とした清里キャンプも、松戸の子どもたちのために、大事な働きであることを祈って支え、奉仕する人々が信仰をもっていくことができるように祈り支えてほしいと願っている。
上総大原教会、横浜菊名教会の代務主任教師をつづけているが、大原は月1回、菊名は特別な集会奉仕がない限り、毎月2、3回の礼拝の奉仕と、週日に、菊名愛児園の園長として責任を果たしている。それぞれ、幾つも課題や問題をもっているが、そのために時間をささげる日々がつづいている。松戸教会で、あたりまえにしていたことが、他の教会ではすべてが少しずつ異なっている。できる限り、教会のあり方に従うよう努力している。他教会から転会してくる方のとまどいを私も感じながら、教会生活をつづけている。
松戸教会牧師 石井錦一


【石井牧師の予定】

  • 8月 4日 横浜菊名教会 奉仕
  • 8月11日 西千葉教会 奉仕
  • 8月18日 上総大原教会 奉仕
  • 8月25日 横浜菊名教会 奉仕

ゾーエー・アイオーニオス(2013.7)

新しい旅立ちに生きる―10―

 毎月発行の「月報」に書くことになっているのだが、土曜、日曜は、松戸教会に出席することができない生活を続けている。6月は、どこに行って、何をしてきたということを並べて書いても、あまり意味はないと思いながら、6月に出席した会議のことを書きたい。
6月5日から7日まで、宮崎市で開催された「全国私立保育連盟研究大会」に出席した。千葉県の民間保育園の団体の創立に関係したので、毎年できるかぎり参加している。
新聞ニュースなどで伝えられているように、2012年8月10日に「子ども、子育て支援法」(以下「支援法」という)、就学前の子どもに関する教育、保育等の総合的な提供の推進に関する法律(以下「改正認定こども園法」という)、児童福祉法等の改正を内容とする、子ども、子育て支援法及び就学前の子どもに関する教育、保育等の総合的な提供の推進に関する法律の一部を改正する法律の施行に伴う関係法律の整備に関する法律が、国会において可決、成立し、8月22日に公布された。子ども、子育て新システムとして、議論が進められた保育制度の改革が、「子ども、子育て関連三法」として結実した。子育て関連三法を、具体的な制度内容を検討するための「子ども、子育て会議」が2013年4月から開催され、全国の自治体も「子ども、子育て会議」が開催されて議論を経た上で、「子ども、子育て関連三法」が2015年4月1日から施行される予定である。このことによって、幼稚園、保育園、学童保育のあり方は、1949年(昭和24)児童福祉法の制定以来、大きく変わってくることになる。
松戸教会は、1950年(昭和25)に、教会の事業として、保育園を設立したのち、やがて社会福祉法人ピスティスの会として現在、二つの保育園、三つの放課後児童クラブ(学童保育)、さらに乳幼児の子育て支援の施設をもって、松戸市における乳幼児の保育の責任をもってきた。教会と社会福祉法人は一つとなって、松戸市における子育ての使命を負っている。私は、長く松戸教会牧師、保育園園長、そして現在は法人の理事長として、乳幼児、学童の保育、教育に関わっている。
教会は、伝道の使命をもって協力、祈ってほしい。教団の宣教、伝道、社会の各委員会が、これからの課題としてこの問題を取り上げている。
松戸教会牧師 石井錦一


【石井牧師の予定】

  • 7月 7日 横浜菊名教会 奉仕
  • 7月14日 横浜菊名教会 奉仕
  • 7月21日 上総大原教会 奉仕
  • 7月28日 清水ヶ丘教会 奉仕

ゾーエー・アイオーニオス(2013.6)

新しい旅立ちに生きる―9―

 4月はじめから、横浜菊名教会の代務主任牧師、菊名愛児園の園長代理となった。すでに長く責任をもってきた上総大原教会の代務主任牧師としては、昨年の4月から毎月一回の礼拝奉仕、役員会をしてきた。横浜菊名教会は、毎週の礼拝に100名を超える人々が出席している。愛児園は120名の定員であるが、定員を超える園児が来ている。前任の園長と主任保育士が辞任して、新主任保育士と、保育士、栄養士、非常勤職員を入れると30名の職員がいる。松戸で長く保育園の園長・理事長として働いてきたので、保育園運営はわかっているつもりだが、組織運営にはそれぞれ独自のことがらがあり、調整しながら、新しい思いをもってしなければならないことが多い。園児たちは、私が顔を見せると「園長先生」と呼んで歓迎してくれる。
菊名教会で、礼拝、聖餐式、結婚式、葬式、さらに教会総会、役員会をしてみて、松戸教会における形式とはいろいろな違いがあり、少し戸惑いながら、できる限り菊名教会の今までしてきたことを受けついでしている。昨年、数か所の教会の礼拝その他の奉仕をしたが、そこでも順序、形式の違いがあることを知った。日本基督教団の教会は、それぞれの教会の歴史と教会形成のあり方に違いは当然ある。その違いは大きくはないが、礼拝形式、総会、役員会その他の議事運営のあり方をいろいろ経験させてもらっている。
4月総会後の役員会で、役員から、今年の教会の課題を幾つかあげてほしいと言われて、幾つかのことを話したが、まず礼拝を「調える、整える、斉える」ことを挙げた。これらの言葉は全て同じ読みで「ととのえる」である。礼拝出席、礼拝者の姿勢、礼拝奉仕者の在り方などについて、役員会で訓練と学びの必要を感じていると話した。菊名教会は、愛児園も宗教法人の経営なので、「愛児園運営委員会」をもっている。社会福祉法人の理事会と同じ働きであるが、法人理事会と違って、毎月運営委員会が開かれている。ほとんど週日に開かれるので、私は今は出席できない。運営委員会、園長、主任の日常の保育の関係も、もう少し整える必要があると感じている。新任牧師、園長の仕事をしばらく負っていかねばならない。
松戸教会牧師 石井錦一


【石井牧師の予定】

  • 6月 2日 横浜菊名教会 奉仕
  • 6月 9日 横浜菊名教会 奉仕
  • 6月16日 上総大原教会 奉仕
  • 6月23日 横浜菊名教会 奉仕
  • 6月30日 横浜菊名教会 奉仕

ゾーエー・アイオーニオス(2013.5)

新しい旅立ちに生きる―8―

 4月13日(土)から16日(火)まで、韓国ソウルに行ってきた。ソウルのセムナン教会の日本語礼拝で奉仕することが主な目的であった。今、韓国は人口の40%近くがクリスチャンといわれている。日本は人口の1%を超えたことがない。多く見積もって100人に1人。韓国は10人に4人である。しかし、韓国のキリスト教は、はっきりとはわからないが、相当数が福音派と呼ばれる熱心なクリスチャンであるが、なかにはキリスト教新興宗教もある。
私が訪問した教会は、日本キリスト教団と同じような長老派の教会である。そこに日本キリスト教団派遣宣教師として送られている洛雲海(ナグネ)牧師がいる。洛雲海牧師は、大韓イエス教長老会神学大学の准教授とセムナン教会の日本語礼拝を担当されている。
昨年10月に韓国を訪問してわかったことだが、宣教師に対して教団は謝儀の半分を負担しなければならないが、教団には十分な予算はない。そのような事情で、有志により洛雲海牧師を後援している。今回は松戸教会より献金をあずかっていった。このような事情であるから、私も往復旅費、ホテル滞在費を個人で負担した。日本語礼拝でいただいた謝礼も洛雲海牧師一家のために捧げてきた。
韓国教会の礼拝は、牧師、祈祷者、司式者、聖歌隊はガウンをつけている。ガウンも教会歴の期節に準じるから、復活節は白のガウンである。日本の教会ではカトリック教会、聖公会で行っていることだが、私もガウンを着て礼拝の入堂、退堂をし、会堂のうしろで礼拝者に挨拶し、紹介された。
セムナン教会は集会、礼拝堂が10近くある。中心の礼拝堂では、主日礼拝が5回捧げられている。私は、日本語礼拝が終わったあと、3回目の礼拝に出席した。会堂には1200人以上の人々が入ることができる。牧師、祈祷者、司式者そして聖歌隊200名近くが入堂してきた。礼拝プログラムは、日本の教会と同じようであるが、1時間で終わる。そして1時間後に次の礼拝が始まる。
聖歌隊も全部入れかわるということだ。聖歌隊メンバーだけでも二千人近くいるようだ。会堂に入れない人のため、映画館のように礼拝が同時中継放送されるという。
松戸教会牧師 石井錦一


【石井牧師の予定】

  • 5月 5日 横浜菊名教会 奉仕
  • 5月12日 横浜菊名教会 奉仕
  • 5月19日 上総大原教会 奉仕
  • 5月26日 横浜菊名教会 奉仕

ゾーエー・アイオーニオス(2013.4)

新しい旅立ちに生きる―7―

 

 もう少し自由な生活を願っていたが、やむをえない事情で、二〇一三年度四月から横浜菊名教会の代務主任牧師と、付属の菊名愛児園(保育園)の園長代理に就任した。まだ社会福祉法人ピスティスの会の理事長として二つの保育園、三つの放課後児童クラブ、おやこDE広場、小学校内にある「放課後KIDSルーム」(放課後夕方まで自由に生活できるところ)など、それぞれ園長、施設長が責任をもってくれているが、創設に関わった者として、、職員、指導員、保護者、園児、児童たちといろいろな形で関わっている。それに加えて、横浜菊名教会に関わることになった。この教会は、私が洗礼をうけ、やがて神学生として育てていただいた教会である。出身教会であるのでいろいろな形でずっと交わりをもってきたが、主任牧師、園長をしている牧師が辞任することになったので、よい後任牧師が得られるまで代務をすることになった。礼拝出席一二〇名、園児一二〇名の定員をもつ保育園があり、代務・代理であるが、あれもこれもしてほしいとの声があり、私のできる最小限の事は責任をもつことになる。松戸教会の礼拝には、ほとんど出席できない生活がしばらく続くことになる。
代務の責任をもつことを考えていなかったので、昨年一〇月にソウルを教団宣教委員会の委員のひとりとして訪問したときに招かれ、早いときに伺う約束をしてきた。四月一三日~一六日まで、ソウルのセムナン教会の日本語礼拝と韓国長老神学大学で教師をしている教団派遣宣教師の洛雲海(ナグネ)牧師を訪問し、私のできる奉仕をしてくる予定だ。
私は、昨年度から初任地の上総大原教会の代務主任牧師もしており、毎月一回は礼拝にいき役員会その他の奉仕をしている。ソウル行きはこの年度内、あと一、二回行けたらと願っているが、実現はむずかしいかなと思っている。
教会の方々、家族からも、私の身体のことを心配していただいて申し訳なく思っているが、「ムリ」しないといって、少し「ムリ」して奉仕を続ける予定です。
松戸教会牧師 石井錦一


【石井牧師の予定】

  • 四月 七日 横浜菊名教会 奉仕
  • 四月一四日 センナム教会(在ソウル) 奉仕
  • 四月二一日 上総大原教会
  • 教会総会
  • 四月二八日 横浜菊名教会 教会総会

ゾーエー・アイオーニオス(2013.3)

新しい旅立ちに生きる―6―

主任牧師の責任を辞して丸一年が過ぎた。
松戸教会について何の心配もしなくてよいことは、まだ担任教師として在籍しているのでありがたいことだと持っている。
2月に長い交わりをもった方々を訪問した。
お一人は、92歳の方、数年毎月の家庭集会に参加してくださった。教派は違うが牧師の一族の方である。お元気なときは、私より10も年長なのに、いっしょに歩くと私の方が遅れてしまうほど、しっかりと歩かれた。足を痛めてから、歩くのが不自由になり、礼拝出席は、車で送り迎えしていただいていると聞くが、何かにつけて便りをいただき、私の方は、3回に1回、4回に1回も返事を書くことができないでいた。いつも、私のために祈ってくださっている。私のために祈ってくださる方がいることほど、牧師にとってうれしいことはない。92歳の方だけでなく、教会の中には、いつも、信徒の方々の祈りに支えられて今日も生きているという喜びを持っていることは、ただ感謝である。
90歳になる方も訪問した。
私が20代で牧師になったときに、千葉県下の子どもたち、青年たちのキャンプ、修養会の奉仕を共にした方である。内房にあるお家を訪ねたら、昔の面影は何もなくなっていた。
小学校の教室を会場にし、自炊をして、教室の板の間に寝た。海で泳ぎ、教室で聖書を学び、祈り、賛美をした。公立小学校の教室を、教会の集会に使用させてくれた時代である。この方も、杖をついているが、話している声も、耳もしっかりしていて、60年前の若いときのようになって楽しく語り合った。女性で最も早く小学校校長なった方である。
お一人暮らしであるが、お話をしている間にも声をかけ、訪ねてくれる人々がいることを知った。祈って別れた。
毎週あちこちの教会に行っているが、声をかけてくださる方を直接知らなくても、あの教会、あの牧師、あの信徒の名前を聞くと、共通の交わりをもった人たちがある。
3月10日(日)に、三浦三崎の教会の礼拝に行っている。50年前に松戸の牧師になる前に短い期間ではあるが、横須賀上町教会の牧師であった。親しい交わりをもった人たちの多くは天に召されたが、40年、50年ぶりに会う方との交わりのときを与えられている。
松戸教会牧師 石井錦一


【石井牧師の予定】

  • 3月10日 三浦三崎教会 横須賀上町教会
  • 3月17日 土気あすみが丘教会
  • 3月24日 横浜菊名教会
  • 3月31日(復活日礼拝)上総大原教会

ゾーエー・アイオーニオス(2013.2)

新しい旅立ちに生きる―5―

 主任牧師を辞任して、少しは自由な時間を持つことができるかと思っていたが、牧師が死去した教会、年度途中の牧師辞任の教会、代務主任をしている教会と、4月、3月まで松戸教会で、出席者の一人として礼拝を守ることのできない生活が続いている。
4月から、また新しい責任を負うことになる教会にいくことになるかもしれない。
「主任牧師でないから、自由だろう。」と思われているが、現実には日本基督教団全体が牧師をむかえることのできない教会が多くなってきている。私のような者でも、少しはお役に立つ奉仕をしなければならないと思っている。
特別に招かれていた教会の集会には数十年いろいろな形で奉仕してきたが、牧師が不在の教会に行くときに、そこに出席している方々の労苦を共にすることの恵みと痛みを感じている。
50年前に、松戸教会の牧師になったとき礼拝出席は多くても50人前後であった。そのときの高校生、大学生、青年たちが礼拝出席の7、8割を占めていた。
それぞれ企業の中の重要な責任を持った人たちに育っていった。
多くの若者が洗礼を受けた。そして、結婚式をした。1月、2月と昔の青年が七十代になり、病を得て、ある人は50年ぶりに病床を訪問することができた。村上牧師の了解を得、2週続けて、葬式をした。七十代後半の人たちと会うと、ある人は「○○ちゃん」と呼んだ方が実感になり、また、ある人たちは呼び捨ての方が親しさと昔の教会の仲間という感じがする。
懐かしさと共に、子どもや孫たちに囲まれている「おじいちゃん」「おばあちゃん」なのに、私も昔の青年にかえって、悲しみと痛みを持ちつつ、遺体としている人に語り、家族への慰めを祈りつつ葬式をした。
子どもたちより、孫たちの顔を見ながら、孫たちの年代のときから、共に教会生活をした仲間を送る淋しさを深く味わった1月、2月であった。
2月後半から、3月、4月と私の歩みになにがまっているかという思いがある。
週日は、保育園の子どもたちと先生たちとの出会いで心豊かにされる日々を送っている。

松戸教会牧師 石井錦一


【石井牧師の予定】

2月24日
上総大原教会
3月10日
三浦教会
3月10日
横須賀上町教会
3月31日
上総大原教会

ゾーエー・アイオーニオス(2013.1)

新しい旅立ちに生きる―4―

 年末から新年にかけて、松戸教会の方々の入院、礼拝出席ができなくなった方々のことを知らされて、心痛む思いでいた。
数年代務主任牧師の責任を持っている上総大原教会は、それまでは、三ヶ月に一度、週日に役員会をしにいくだけで、礼拝は支えてくれる引退牧師にお願いしてきた。
四月から毎月一回は礼拝の責任を持つことにした。六十年前に私が二十代のときに六年間在任した教会である。当時は、青年たちが集まってくれる教会であった。故人になった東金教会の牧師であった浅香敏雄先生と共に、千葉県の保田、大原を中心に、日曜学校のキャンプ、中高生の修養会、青年修養会をしていた。内房、外房の教会で、青年たちの中心的集会が行われていた。松戸教会の青年たちも大原教会を会場にして修養会をしていた。後に、松戸教会の牧師になったとき、そこにいた高校生、青年たちはみな知っていた。
当時の青年たちが、今、七十代、八十代になっている。最近、病床にある人から知らせがあり、当時の青年の面影のある人を訪問して祈った。
世の青年たちに会う機会を与えられ、しばらく教会を離れている人々が、再び、教会生活をしてくれると嬉しいと思っている。
上総大原教会では、十一月に永く病床にあった遠藤光子さんの葬儀をした。上総大原教会、大原幼稚園を支えてくれた信徒である。十年以上病床にあるときから、私に「葬儀をしてほしい」との申し出があったが、はっきりとした返事ができないでいた。昨年四月に、「大丈夫だよ、必ず葬儀にくるから。」と約束していた。
私が上総大原教会、幼稚園に在任していたとき、息子さんと娘さんは幼稚園児であり、遠藤さんとは、保護者、母親としての最初の出会いであった。葬式をしていて、二人の息子、娘の家族がいる姿をみて、孫の子どもを持つ親になっている人たちに、何となく園児の時代の面影が浮かんできた。
遠藤さんは、後に大原幼稚園の先生として三十年近く守ってきてくれた人である。八十七歳の死であった。教会や幼稚園で共に生活した人を天に送る淋しさと、また、天のみ国で会えるという恵みにあずかることを信じて葬式をした。
松戸教会牧師 石井錦一


【石井牧師の予定】

1月13日
上総大原教会
1月20日
伊東教会
1月27日
土気あすみが丘教会
2月3日
三里塚教会
2月10日
松戸教会

ゾーエー・アイオーニオス(2012.12)

新しい旅立ちに生きる―3―

「新しい旅立ちに生きる」という題をつけたが、それほど元気が満ちているわけではない。特に松戸教会に出席していれば、礼拝にだけ出席すればよいので、身体は疲れることはない。今行っているあちこちの教会は、土曜日に出かけて、日曜日の夕方か夜に帰ることが多い。9月30日(日)山形県の宮内教会に行ってきた。松戸教会出身の近藤国親牧師が伝道しているところである。何年か前に訪れた時に、宮内教会はどこにあるかわからなかった。
山形新幹線の「赤湯」の近くであることがわかった。赤湯温泉のそばと言ってくれればわかったが、はじめて訪れた時に大正年間の始めに伝道がなされていた宮内町は、今は南陽市になっている。教会設立以来95周年になるという。宮内という地名も歴史のあるところだと知った。今年は、95周年になるというので、記念礼拝と記念講演会の奉仕をした。記念講演会は午後3時から開会というのは、ちょっとどうしてかな?と思った。3時に開会してわかったのは、山形県下の牧師たちが車で1、2時間かけて集まってくれた。出席者の中に牧師たちが10人近くいたので、どこを向いて話したらよいか戸惑ったが、何とか95周年記念の会の奉仕をよい交わりをもって終わった。近藤牧師は、70歳を超えているが、「教会幼稚園」と呼ばれている幼稚園の園長としても、良い奉仕をされている。60歳で献身して6年間(大学、大学院)の学びをして、地方教会の奉仕をされていることを松戸教会の人たちも祈ってほしい。
9月30日(日)、一日の奉仕を終えて、10月1日に赤湯から、羽田に直行した。教団宣教委員会のメンバーになっているので、ソウルで委員会を開催するとのことで、1日午後のソウル便に乗った。羽田から、3時間のところだが、外国なので、パスポートをもって出入国の査証を受けた。ソウルでの3日間は、韓国は初めてなので、観光は何もできなかったが、教会と神学校を訪問してきた。4月にソウルに行くことになっているので、その時詳しく書きたい。
松戸教会牧師 石井錦一


【石井牧師の予定】

12月 9日
上総大原教会礼拝
12月16日
土気あすみが丘教会礼拝
12月23日
上総大原教会クリスマス礼拝
1月 6日
三里塚教会礼拝
1月13日
上総大原教会礼拝

ゾーエー・アイオーニオス(2012.11)

新しい旅立ちに生きる―2―

 先月号で4月より「新しい旅立ちに生きる」とかっこよく書きましたが、結局は、毎日曜日は、あちこちの教会の礼拝に奉仕することが多くなりました。
松戸教会主任牧師在任中は、特別集会、伝道礼拝などの依頼をいただきましたが、ほとんど行くことはできませんでした。
この3年間くらいは、突然の入院、また、予定した入院で心配をかけ、礼拝を休ませていただいたことが多かったと思います。
1985年に胆嚢、脾臓と膵臓の3分の2を摘出する手術をした時、「99パーセント、死に至る」と思われる病気から回復して、20数年を医師の注意を受けながら、動ける、働けると思って、牧師の責任を果たしてきました。
その間に、現教会の耐震工事、第二平和保育園の新設、3か所の放課後児童クラブの施設を運営することになり、それぞれ、園長、施設長がいてくれますが、理事長としての責任を持ってきました。
主任牧師は退任しましたが、社会福祉法人の理事長として、今もなおしばらく、現役の責任をもっています。
この3年くらいの間に、膵臓の3分の1で生活していますので、医師の指導により、インシュリンを注射する生活を始め、また、心臓にカテーテルを4本入れました。この、心臓の働きを補助するためにペースメーカーを入れました。その結果、「一級の障害者」の手帳をいただくことになりました。
それでも元気な障害者で、航空機にも乗り、4月からも北海道、北陸、ソウルなどに行ってきました。教会の皆さま、家族、友人など、みな心配してくれますが、少し歩く足が弱ったかな?頭も少しボケつつある?くらいで、あちこちで奉仕に呼ばれ、多いときには1日3回くらい、1時間ずつの話をしています。
主任牧師として責任から解放され、自由にあちらこちらにでかけることを味わっています。各地の教会その他を訪ねることによって、あらためて学ぶこと、考えねばならないことを教えられています。
松戸教会牧師 石井錦一


【石井牧師の予定】

11月18日
八千代台教会説教奉仕
11月25日
土気あすみが丘教会説教奉仕
12月8日、9日
宮崎重子記念会
上総大原教会説教奉仕

ゾーエー・アイオーニオス(2012.10)

新しい旅立ちに生きる―1―

 2012年3月末で、51年間在任した松戸教会の主任牧師を辞任しました。
「松戸教会月報」にこれから毎月近況報告を兼ねて文章を書いていくこととしました。
まず、タイトルをどうしようかと迷いました。「ゾーエー・アイオーニオス」と言葉が浮びました。「ゾーエー」はギリシア語の動詞「ゾー」の名詞形で、意味は

  1. 生きる、生活する
  2. 元気である、働き盛りである、力強い、ピチピチしている
  3. ゾーすること=ゾーエー

 ゾーすることは、「命」とか「生き方」の意味を持っています。日本語の「いのち」という言葉には、「元気、力強い、ピチピチしている」という意味はありません。
「永遠の」と訳される「アイオーニオス」の意味は、

  1. 始めのない
  2. 始めも終わりもない
  3. 終わりのない

 これは不思議な言葉です。「始めも、終わりもない時間」というのは、ありえない言葉です。「アイオーニオス」は「アイオーン(人の一生)」という名詞から生まれた形容詞で「一生の間」が元の意味である。「始めも終わりもない」ということは、「一生の間、いつでも」という意味と理解できる言葉です。
つまり、「ゾーエー・アイオーニオス」とは、「一生の間いつでも楽しく幸せにピチピチ元気に暮らすこと」という意味に訳すことができます。
聖書の「ゾーエー・アイオーニオス」の訳語は、新約聖書に43回「永遠の生命」と訳されて出てきます。
本題に戻って、タイトルを「ゾーエー・アイオーニオス」としたら、「永遠の生命」という言葉になってしまいます。カタカナのタイトルでは、意味をそのたびに説明しなければならない。そこでこのタイトルを「新しい旅立ちに生きる」としました。
4月になって、土曜日に何も考えない、心の奥にある聖書のことばが重荷にならないふしぎな土曜日を迎えていることに気がつきました。
主任牧師から、説教をしなくてもよい担任教師になった思いを後ろ向きにならないで生きようと決心しました。
それが、「永遠の生命」を信じて生きることです。その意味は、すでに書いた通りです。もう一度「新しい旅立ち」をしてみよう。ヨタヨタ、モタモタ、フラフラしていくかも知れないが、新しい旅として、これから毎月書いていきます。

松戸教会牧師 石井錦一


【石井牧師の予定】

10月23日~25日
第38回 日本基督教団総会
推薦議員として出席
10月28日
日本基督教団鎌ヶ谷教会
創立記念礼拝